ドナウとラインの河川争奪

 本ページの読者からの感想に「河川争奪」とは沿岸住民の水争いのことかと思って読みだしたら、地形学上の現象の事だったのか(そうと分かっていれば読まなかったよ)、という感想が多い。そこで2021.7.1に河川争奪の解説を先に出した。

 河川争奪とは図0のように、川が流れているところへ、脇から侵食力の強い川が延びてきて、先に流れていた川の水を取り込んでしまうことをいう。先に流れていた川の下流側に流れる水が無くなり、それより下流側は川としての機能を失う。このため地形学上はこの部分を無能河川と呼ぶとのことである。学術用語とはいえ無能河川とはなんとも頂けないネーミングである。これは地形学者の語彙不足を物語っている。不可抗力により水を取られるまでは川として働いていたのだから、せめて隠居河川ぐらいの敬意を示すことはできなかったのか。

 

図0 河川争奪の模式図(wikipedia:河川争奪より引用)

 

 2013年8月に南ドイツのバッタハタール鉄道(ドイツの戦略鉄道)に乗りに行ったとき、GoogleEarthで周辺の地形を見ていたら面白いことに気が付いた。GoogleEarthで見た地形は図1の通りである。

 図1の上方ギリギリにあるドナウエッシンゲンには「ドナウクエル(ドナウの泉)」と呼ばれる、ドナウ川の水がここから湧き出しているという観光名所がある。駅から、図の下方にある戦略鉄道乗車駅までバスで行った。沿道はおおむね緩く起伏した牧草地で15kmある。標高はドナウエッシンゲンが680m、戦略鉄道駅が705mなので、ほぼ平坦であると言ってよい。

                 図1(ドナウエッシンゲン付近の現在の地形図)

 この図1をGoogleEarthで拡大して地表の標高や状態を読み取ると、次の事実が分かる(図2参照)。

A:ライン川の支流③が南から北へ突き上げてきて、川②と交差している。

B:川②が730mの台地を西から流れてきて、530mまで急降下して、ラインの支流③に流れ込んでいる。

C:川②の東方への延長線上にほとんど水流が見えないが、顕著な河川敷をもった河谷②’がガイジンゲンまで続き、ドナウの本流に合流している。

              図2(現在の地表の状況、数字はその場所の標高)

 上記ABCより、川②と②’は元は一続きの川で、700mの台地上を西から東に流れて、ガイジンゲンでドナウの本流に流れ込んでいた。そこへ、ライン水系の③が暴れこんできて、170mの高低差を利用して台地を侵食し、②と②’を切り離してしまった。このため、②の水は③に流れ込み、ドナウ水系であった②はライン水系に組み込まれてしまった。これを地形学では河川争奪と言い、ままある現象のようである。

 これによりドナウ川とライン川の分水嶺も図3のように変化した。黄色の分水嶺が、②が③に争奪される前の、ドナウとラインの分水嶺である。すなわち、河川争奪が起きる前の分水嶺(黄)から新分水嶺(赤)まで、ドナウ川の流域が後退したことを意味する。

    図3(②が③に争奪された結果、ドナウとラインの分水嶺は黄色から赤線(新分水嶺)に移動した)

 図2を見ると、ライン水系の③は、ドナウ水系の②を争奪した後も北へ向かって侵食を続け、現在既にドナウエッシンゲンへの半分ぐらいまで河谷が形成されている。このまま放っておけば、図4に示したように、次はドナウエッシンゲン付近でドナウ川の本流①を争奪し、ドナウ本流もライン川に組み込まれてしまう。それに伴う分水嶺の後退は、図4の将来分水嶺(ピンク)のようになる。

   図4(ドナウ水系の本流もライン水系の③に争奪されると、ドナウ川本流がライン水系に組み込まれる)

 ドナウエッシンゲン周辺およびその上流部は、ドナウの水源を売り物にした観光地でもあるので、ドイツとしてもこの第二次河川争奪はなんとしてでも阻止したいであろう。それには現在の③の侵食源頭に人工構造物を作って侵食を止めるしかあるまい。

 図4を見ればわかる通り、ドナウ水源というピン印のすぐ裏側までライン水系の川が伸びて来ている。黄色い線の内側はドナウの源流部であるが、河口から2800kmもあるので、すでに均衡河川(これ以上侵食が進まない河川)に達しており、なだらかな高原状になっている。一方、ライン水系側は海からの距離も短く標高も低いので斜面も急である。ドナウの本当の水源がラインに争奪されるのは時間の問題である。しかし、河川争奪のため領土の所属が変わるようなら国際的な大問題になるであろうが、ここではどちらに転んでもドイツ領内なので、国際問題にはならないだろう。

 

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