諏訪の水穴

 1998年12月、茨城県日立市にある諏訪の水穴で練習ケイビングを行った。参加者は5名。

 当日は八重洲ブックセンター前に9時に集合。ワゴン車で、常磐道経由、日立に向かう。風は強いが天気は上々。日立から太田に向かう道に入り、諏訪神社を通りすぎてしばらくゆくと、自動車道が左に大きくカーブするところの右手、河原を挟んだ対岸に諏訪の水穴が見えた。道路脇には「諏訪の水穴」の石柱も建っており、数台分の駐車スペースもある。地の利の良いところだ。

 諏訪の水穴は河原に面した小さな石灰岸壁の基部(河原と同じ高さのところ)に開口していた。案内書によると、水戸黄門も入ったことがあるそうである。少し下流に砂防ダムの堰堤を作ったため、土砂が堆積して埋没してしまったようだ。私が日立にいたころ(1971年)に聞いた話では、すでに埋没していて入洞は不可能とのことだった。

 堰堤は今はやりのコンクリート製ではなく、石積みで、いかにも古そうという感じのものだった。その堰堤を見ると、上から2mほど下に人為的に穴をあけてあった。このため河原面が下がり入洞可能になったのであろう。多分、ふるさとの名所を復活するための措置ではなかろうか。

 河原は風の通り道になっており、刺すような寒風の中で着替え。11時入洞開始。洞口は高さ2m幅1mぐらいで立って歩ける。すぐ左側にも副洞口があり、2~3m奥で主洞につながっていた。

 主洞はぬかるみで、水深はひざぐらいまで。ボアパッセイジの主洞がゆるく屈曲しながら続いている。じきに天井が低くなり、腰をかがめて進むようになった。ごく最近まで水に浸かっていたらしく、洞壁には泥が付着していた。岩質は結晶質石灰岩で、ライトを当てると半透明の岩肌が赤茶けていた。泥の色が染み付いてしまったようだ。中間まで進んだところの左側に小さな碑が建っていた。これが水戸黄門の碑か。

 ところどころ深いところがあり、いつのまにか腰から下はズブ濡れ。しばらく進んだところで俄然、水深が浅くなった。天井までの高さは水面から20cmぐらいか。これから先は水中を這わなければ進めない。多分、ここまでは誰かが泥を掻き出してくれたのだろう。地元の人かもしれない。

 水深は20cmぐらいあるので水底から天井までの高さで考えれば、入って入れないことはないが、「この冷たい水の中を匍匐前進するのか」と全員で顔を見合わせ、しばらく躊躇する。しかし、洞幅も広く、つっかえるような穴ではない。このまま引き返すのも尻尾を巻いて逃げるようで後味が悪い。ついに入ることにした。

 意を決して水中に横になると、防水のツナギを着ていても襟首から容赦なく冷たい水が入ってくる。たちまち全身がガツンという冷たさに包まれた。手で泥をかくと嘘のように滑らかに身体が進んでゆく。まるで有明海の干潟の上を滑っているようだ。後続者から「後続の者のためにあまり水を濁さないでくれ」と注意が飛ぶ。

 15mほどで天井は低いが小さな広間に出た。ここで3本の小さな穴に分岐しており、一番左奥の穴から水がどんどん流れ出していた。多分これが主洞であろう。ちょうど身体一つ分の太さだ。無理すれば入れないことはないようだが、あの太さでは、人間が突っ込むと前方に水がたまってくるのではないか。この冷たい水の中で人間ダムになってはかなわない。引き返すことにした。

 後続の者が次々と入り、引き返してくるのを待っていたら、寒さでひざの震えが止まらなくなった。これはヤバイと、一足先に大急ぎで洞口まで引き返した。12時ごろ全員出洞。濡れたツナギや下着を全部着替える。濡れた下着が身体にベットリ張り付いて着替えるのに時間がかかる。髪の毛にも泥が一杯ついているので川の水で頭を洗った。寒風の中なので全身から震えが出る。この穴は夏にくる穴だ。

 

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