1968年の大雪山(S43年)

2020年10月、もうオールサンデーの退職者になってから、昔のフィルムを片付けていたら、札幌で勤務中の1968年8月に大雪山に一人で出かけたときのフィルムが出てきた。写真屋にフィルムを持って行き、デジタル化してもらった。色も変色してしまった映像から当時を思い出しつつ、文章を作成したので、コースや時刻は必ずしも正確ではないかもしれない。

当時の土曜日は半ドンで午前中は勤務があったので、それを済ませてから、旭川発最終の勇駒別(現在は旭岳温泉に改名)行きバスに乗った。最終バスも勇駒別で滞泊し、翌日の一番バスで旭川に戻るダイヤになっていた。バスの乗務員も同じ宿に泊まるらしく、風呂場で運転手さんと一緒になった。風呂場は大きく、きれいな青みがかった清冽な湯がふんだんにかけ流しされていた。

翌日はロープウエイに乗らず、歩いて姿見の池へ。この区間は傾斜も緩く大したことなかった。姿見の池周辺はかなり活発な噴気活動があった(写真1)。それから先は旭岳目指して急な登りが続く。当方よりはるかに重いザックを背負った集団が黙々と登っている(写真2)。

写真1(姿見の池)

写真2(旭岳頂上付近の登山道)

旭岳頂上に着いたが、残念ながらガスに巻かれて何も見えない。旭岳頂上で地面をポンポン蹴って見たら、中が空洞のような音が聞こえた。どういう構造になっているのだろう。それから先もガスに包まれたまま間宮岳に到着。たまたま地面に置いてあった先着登山者が残していった石を抱えて記念撮影した(写真3)。うまい具合に今日登山したグループが置いて行ったものなのだろう。

写真3(間宮岳頂上)

それから先は、北海岳、黒岳のコースで進んだ。北海岳を過ぎ、大きな火口の中に下ってゆくと、豊富な雪渓が現れた。雪渓の上を雪が解けた水が流れてゆく(写真4)。黒岳の方から大きなキスリングを背負った10人ぐらいの集団が登って来た。どこかの大学の山岳部なのかもしれない(写真5)。当時のキスリングは横に長く、ブッシュの生えた山道ではよく引っかかったものだ。長らく楽しませていただいた雪渓もここで終り(写真6)。その先でいよいよ黒岳が見えてきた(写真7)。

写真4(雪渓上を流れる雪解け水)

写真5(山岳部の訓練か)

写真6(雪渓の末端にて)

写真7(頂上の火口原:黒岳石室鞍部)

黒岳から層雲峡を見下ろした眺めを期待してきたのだが雲にまかれて見えない。急な下りを下ってゆくとロープウエイの山上駅が見えてきた。時間も予定より早いし、五万分の一によれば、層雲峡までの高低差の半分はもう下ってきているので、そのまま歩いて下ることにした。ロープウエイのゴンドラを下から見上げる写真を撮ったが、まだ紅葉には早く、バックが青空ではないので、満足のいく写真は撮れなかった。

 

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