ザルツブルグとウイーン

ザルツブルグとウイーンの旅

 2013年8月、フランス・ドイツ・オーストリアを訪ねる旅に出かけた。①フランスの戦跡(ヴェルダン、マジノ)、②鉄道(ドイツのトリベルグの4重Ωループ線、バッタハタール鉄道、オーストリアのゼメリング鉄道)、③ドナウ川の絶景とドナウ下り、④ザルツブルグとウイーンを訪ねる旅に出かけた。ここではそのうち、④ザルツブルグとウイーンを取り上げる。なお、①と③は旅行編に、②は鉄道編に載せた。

第1日目(曇りのち晴れ)
 初めてスイス航空に乗った。成田発なので客室乗務員には日本人も一人乗っていた。客の2/3ぐらいは日本人。10:25定刻に出発。滑走路の順番待ちエリアには8機も離陸を待っていた。離陸したが雲が多く、じきに下界が見えなくなった。
 ハバロフスク上空に達しても、シベリア上空に達しても雲ばかりで地上が見えず、つまらないフライトだった。しかたないので暇つぶしに、機内の減圧状況を高度計で調べたら、1500mの気圧になるまでは15分ぐらいで、1800mまでは2時間ぐらいで、2000mまでは5時間ぐらいかけて減圧していた。

 15:50チューリッヒ着。16:50発のパリ行きに乗継。結構長い地下鉄でターミナル間を移動。乗継時間は1時間しかないのに、持ち物チェックと出国審査があり、持ち物チェックの金属探知機の感度が良すぎるので迷惑このうえない。出発ロビーに駆けつけ、滑り込みセーフでパリ行きに搭乗できた。出発ロビーから見えたチューリッヒ空港の駐機場は空いていた。こんなに大きな空港は必要ないんじゃないという感じだ。

 パリ行きには日本人は当方一人だけ。乗客も40%ぐらいしか乗っていなかった。ライン川に気をつけていたがどれだか分からないうちに雲の上に出てしまった。磁石で飛行方向を調べると概ね北西に進んでいた。このルートはアルプスを越えないので見るべきものもない。フランスに入ったら雲も切れ始め、なだらかに起伏する牧草地が見えてきた。それがずっと続く。フランスは農業国だというのが実感としてわかる。いよいよドゴール空港への着陸態勢に入ったが、空港の周囲はまだ農地だった。都心から20kmぐらいしか離れていないのによくもまあ農地がこんなにあるものだ(写真02)。

写真02 ドゴール空港周辺(パリ都心から20km)でもう農業地帯

第2~7日目(戦跡と鉄道めぐり)

第8日目(晴れ)
 今日はドイツのドナウエッシンゲンからICEでミュンヘンを経由してオーストリアのザルツブルグまで行く日だ。宿から駅までは歩いて3分ぐらいなので列車の15分ぐらい前に宿を出た。地下道に降りるエレベータもあったので乗ってみたら、ボタンが、地上が0、地下が-1という表示になっていた。これも分かり易い。こんどくる列車は優等列車だというのにホームはガランとしている。7:17発のICEに乗った。列車は空いていた。

 初めはドナウ川に沿って(と言っても最上流部なのでまだ小川だ)田園地帯を下る。この付近の駅名はイメンディンゲン、トットリンゲンなどと「ゲン」という語尾が着く駅名が多い。何か意味があるのだろう。座席の窓の下につけられたゴミ箱のアルミの厚さが厚いのでビックリした。厚さ3mmはありそうだ。日本ならゴミ箱はせいぜい1mmだろう。

 朝が早いので朝霧が出て美しい(写真04の左)。複線電化されている幹線なのにまだこんな信号の連動装置が使われているのかね(写真04の中央)。物を大切にする精神なのか、単なる投資遅れか分からない。進行左手の高い山の上に城が建っていた(写真04の右)。本当に絵のようだ。

 写真04左 ドナウの朝霧      写真04中 年代物の連動装置     写真04右 山の上の城

 ウルムとミュンヘンで列車を乗り換え。例によって20番線ぐらいあるターミナルの端を回って、次の列車に乗り継ぐ。これが風情があるという人もいるが、長いホームを往復するより、地下道か跨線橋にしてもらいたいものだ。ミュンヘンから乗った列車はオーストリア国鉄の運行する列車らしく車内の表示もDBからOBBに変わった。車窓はつまらない田園地帯が続いた。ドナウエッシンゲンから5時間半でザルツブルグに着いた。

 ザルツブルグ駅はガラス張りの駅舎だが建て替え工事の最中で落ち着かなかった。駅前も工事で細かく仕切られ、タクシー乗り場がどこにあるか分からない。何度も人に聞いてやっとタクシー乗り場へ。歩いても20分ぐらいの距離らしいが、ホテルを探すのが大変なのでタクシーでホテルまで行った。

 市の中心部に入ったら観光客が多い。タクシーの運転手が、一般車乗り入れ禁止の道路の入り口に立っているポールをリモコンで下ろして、中にはいってゆくのには驚いた。公共交通機関の車は乗り入れて良いとのこと。狭いにぎやかな道をいくつか曲がるとホテルの前についた。今日のホテルは安いのでユースホステル並みの建物かと思っていたが、結構立派な建物だった。まだチェックイン時間の前なので、荷物だけ預けて市内散策にでかけた。ホテルの周辺はこんな感じ(写真6)。

        写真06 ホテル周辺の通り

 とにかく観光客が多い。あらゆる国から来ているようだ。さすがザルツブルグだ。中国人は大抵の場合、20人ぐらいの団体で旗を持った添乗員と一緒に歩いているが、日本人は2~4人のグループで歩いているケースが多い。市電も通っている幅の広い橋の向こう側にザルツブルグ城がそびえていた。川の対岸は城から続く石灰岩台地になっている。川を渡り、狭くて賑やかなモーツアルト通りに入ると、両側の建物からは思い思いの屋号のような飾りが突き出している。モーツアルトの生家(写真8)を見てから、カラヤン広場、なんとか修道院(写真10)、ザルツブルグ大学(写真12)、内部がきれいななんとか教会(写真14)を通って城に登るケーブルカー乗り場を探す。この辺りは歴史を感じる町だ。写真10のなんとか修道院は50mぐらいの垂直な石灰岩の絶壁の下に建っている建物で、怖いくらいだ。

    写真8 モーツアルトの生家

         写真10 ○○修道院

     写真12 ザルツブルグ大学と山上のお城

    写真14 内部が美しい○○教会

道が曲がりくねり、行き止まりありで、何回も地元の人に尋ねてやっとお城を見上げる位置にたどり着いた。お城に登るケーブルカーが見えるところまで来たが、駅はまだ見えない。もう一曲がりしてようやくケーブルカー駅についたら長蛇の列。長時間待たされたにも拘わらず、標高差は70mぐらいしかないのでケーブルカーの乗車時分は、ほんの1~2分だ。ケーブルカーを降りてからしばらく城内を歩く。 いよいよ城の建物への入り口である。入るとすぐ大砲が置いてあり(写真16左)、その砲門からザルツブルグ市内が良く見える(写真16右)。オーストリアまで来るとロシア正教風の教会が多い。

        外をにらむ大砲        写真16     砲門から見たザルツブルグ市内

 城で一番高いところにある櫓が窓の外に見えるが、城の平面図を見てもどのように行くのか分からない。結局、順路を全部歩かされて一番高い櫓の入口についた。城の本丸を囲む別の郭になっていた。最後は木の螺旋階段(写真18)を登って頂上に着いた。残念ながら人人人でゆっくり景色を見られない。自分の泊まっているホテル付近の写真を撮って早々に降りた。本丸の下にある広場から本丸を見上げるといかにも城らしい(写真20)

       写真18 一番高い櫓に登るらせん階段

  写真20 本丸を見上げるといかにも城という感じがする

 城を出てから、なんとか広場に行ったら、パリのモンマルトルのように、個人の似顔絵かきがたくさんいる。全身銀色に塗って台の上でじっとしているパフォーマンスを演じている青年もいた。まさにギリシャ彫刻そのものという感じだった(写真21)。今年のヨーロッパは暑いらしく汗がタラタラ出るが、湿度が低いのでしばらく休んでいると直に汗も引っ込む。川を渡り返してモーツァルト公園に向かう。きれいに手入れされた公園で花もきれいだ(写真22)。

 写真21 ギリシャ彫刻のパフォーマンス

      写真22 モーツァルト公園(花がきれい)

  ドイツに永住しているY君が17:00にホテルに訪ねてくる約束になっているのでホテルに戻った。一泊48ユーロと安いので部屋は狭いが、地の利は最高だ。ホテルに着いたとき洗濯物を洗濯機にかけておいたのでそれを取り出して次の工程に進もうとしたが、わが英会話力では用件をフロントに伝えられなかったのでY君がくるのを待った。16:50ごろY君が奥さんと一緒にホテルに着いた。さっそく洗濯物のことの通訳を彼に頼んだ。彼がドイツ語で用件を伝えてくれたので、すんなりことが運んだ。フロントの人もホッとしていた。

 18:00ごろ、彼の案内でザルツブルグで一番古いというビヤガーデンに行く。途中、「この教会では今晩中庭でコンサートを開いている」というので中を見たら、観客がビッシリと中庭を埋めていた。城の真下の岩壁にへばりつくように建っているビヤガーデンについた。セルフサービスのビヤガーデンで、席は何階にも分かれている。注文カウンターに行ったら、料理の数が多くどれを頼んだら良いか分からない。チョイスは彼に任せてジョッキと料理の運搬だけ手伝った。

 3階ぐらいのデッキに陣取ったので市内が良く見える。もう19:00だというのにまだ日が高い。市内の展望を楽しみながら飲みかつおしゃべりした。奥さんはドイツ人なので彼の通訳で会話する。目の前の教会から荘厳な鐘の音が聞こえてきた。ビアガーデンを出るとき入口に書いてある看板を見たらsince1866となっていた。1時間半ぐらい楽しんでからホテルに戻り、20:30ごろ彼と分かれた。Y君夫妻はこれから車を1時間転がしてオーストリアにある別荘に帰るとのこと。

第9~10日目

ここに、(ザルツブルグ→リンツ→ドナウの絶景→リンツ→ドナウ下り→ウイーン)の行程に対応する「ドナウの絶景とドナウ下り」(旅行編)が入る。

第11日目(晴れ)

  午前中は、世界遺産のゼメリング鉄道を見に行った。しかし、思ったより歩く距離が長く、帰りの予定列車に乗り遅れたため、ウイーンのMeidling駅に戻ったのは18:00ごろになってしまった。まず、明日ウイーン空港から帰るための予行演習をした。電車でAiroCityに行き、明日空港へ行く際利用するチェックインカウンターと空港に行く列車の着発ホームを確認した。おまけに、明日乗る予定の地下鉄4号線ホームからチェックインカウンターまでの通路も確認した。それでも、ヨーロッパではまだ太陽も沈まず明るい。

 せっかくウイーンに来たのだからウイーンの名所を駆け足で見ようと、そこからタクシーでオペラハウスに駆けつけたら(写真24)、舞台衣装を着た歌劇訓練生から、「夏はオペラは上演されない、明日だけ歌劇訓練生が出演するオペラが上演されるのでぜひ見てゆけ」と勧誘された。残念ながら明日の飛行機で帰るので見られない。こういう催しがあるのが分かっていればそのように予定を組んだのに残念なことをした。

   写真24 オペラ座(本当はこの中を見たかったのだが)

 シェーンブルン宮殿は、もう沈みそうな夕日で赤く照らされていた(写真26左)。宮殿は壁につけられた精緻な彫刻が見事だった(写真26右)。ここでは日本人よりも中国人の方が圧倒的に多かった。シェーンブルン宮殿の裏側に回ったら市内観光の馬車が発着するところに出た。プーンと馬糞のにおいが漂ってきた。

       夕日に映える宮殿        写真26        宮殿の壁の彫刻

 それからY君からもらったウイーンの詳しい市街図を見ながらウイーンの旧市内中心部を歩いていたら、「シリア民主化同盟」と書いた緑色の旗を振りながら募金活動をしていたので(写真28)、100ユーロ寄付したら歓声を上げて喜んでいた。その近くの背の高い教会(写真30)に入ったら、入り口で緑色の服を着たきれいなアラブ系の若い女性が物乞いをしていた。いかにも「これからデイトに行くのだが小遣いが不足しているので恵んでちょうだい」という雰囲気だった。

                       写真28

      写真30 ウイーン中心部の背の高い教会

 この中心街にもアカキコ(AKAKIKO)と書いた和食屋があったので夕食。ここの店員も全然和食とは縁のなさそうな感じだった。宿泊しているホテルに帰るには地下鉄4号線の駅が便利なので、そこまで町を見物しながら歩いていった。道の両側にはレストランの屋外テーブルが氾濫していた。ウイーンも暑いのでソフトクリームを食べている人で満席だった。

 泊まっているホテルモーツァルトの近くのヨゼフブリッジ駅で降りてホテルに着いたらもう22時近かった。それから明日帰国する荷造り。ヨーロッパのホテルは大抵の場合空調が入っていないので暑い。Y君も今年は例年になく暑いと言っていた。

第12日目 晴れのち曇り

 9時半ごろフロントで会計を済ませ、フランツヨゼフ駅周辺の写真を撮る。総ガラス張りのフランツヨゼフ駅とカラフルなトラム(写真32)の組み合わせが面白かった。ザックを背負ってヨゼフブリッジ駅まで数分歩いて地下鉄に乗った。AiroCityで降りて、飛行機のチェックインカウンターでチェックイン。荷物も預けたので空身で空港行き列車(City Airport Train)(写真34)に乗っていたら女性の車掌が「切符は?」と聞いてきた。「ない」と言ったら料金は15ユーロとのこと。結構高いな。罰金も取られたのか。この列車は空港利用客のためのサービス運行で只かと思っていたのだが。

 写真32 総ガラス張りのフランツヨゼフ駅とカラフルなトラム

     写真34 ウイーン市内から空港へ行く列車

 10:10に地下ホームから出発し、すぐ地上に出て、空港には10:25ごろ着いた。空港のコンコースはカーブしている変わった構造だ(写真36)。3階まで登り、東京行きが出るターミナルまで結構歩いた。出国審査を終え、所定のゲート前についたらもう11:20ぐらいになっていた。出発便を見るとずいぶんいろいろな方面に飛行機が出ている(写真36)。窓から外を見るとこれから乗るオーストリア航空の機体が見えた(写真38)。

   全体にカーブした空港ロビー       写真36     世界の各地に向けた出発便

       写真38 オーストリア航空の機体

 乗る便は13:30発なのでまだたっぷり時間がある。近くのみやげ物屋でたっぷり時間をかけてお土産を物色した。ワインは重たいので一本だけにしてあとはほとんどチョコレートにした。チョコレートも実にさまざまな意匠をこらした美しいものが多かった。そのケースの意匠のほとんどがモーツァルトだった。さすがモーツァルトが生まれた国だけある。一つ開けて食べてみたが、オーストリアのチョコレートはうまい。

 待合席に戻ったらTokyo行きの便なので日本人が多かった。どういう訳かイカツイ体をした若者が大勢いる。たまたま当方が座った席の隣にその引率者らしき人が座っていたので聞いてみたら、大学生の柔道世界選手権大会がオーストリアで開かれていて、その帰りらしい。
 飛行機は定時に離陸したが、空はどんより曇り下界は霞がかかっていて、期待していたドナウ川はどれだかよく分からなかった。そのうち雲の上に出てしまったので時間つぶし用の文庫本を読んで日本までの長時間をつぶした。

第13日目 晴れ
 成田に朝着いた。わき目も振らずに地下のJR乗り場に行ったら、この時間帯(7:00~8:00)は普通列車がなく成田エクスプレスばかり。しかたないので成田エクスプレスに乗った。列車内の案内表示がヨーロッパの鉄道に比べて大層豊富な(言い換えれば、やたら細かいことまで案内している)ところが特徴的だった。駅構内の案内などはヨーロッパでは駅に降りてからの表示に任せている。日本にいる間は気がつかなかったが外国と比べてみるとその差が分かる。

 

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