洞窟探検事故報告書

 1990年代、鍾乳洞で遭難し、ケイビング仲間の電光石火のレスキュー活動により、危うく一命を取り止めた。その際の行動記録をここにまとめ、ケイビング初心者への参考資料としたい。

1.入洞の目的
 会社の社内報に「ケイビングが趣味」と書いたところ、若者からどこかに連れていってくれと頼まれた。そのとき彼等が持ってきた本が、K氏の書いた「ケイビング入門とガイド」だった。その本のガイド編をパラパラめくったところ3年前に行ったことのある鍾乳洞が紹介されていたので、そこに行くことにした。
 3年前は第1洞から入ったが、途中にあるヘアピンカーブの狭い洞がどうしても曲がれず、引き返してきた。その本によると第7洞から入り、第1洞に抜けるのが順路らしい。しかもかなり複雑な穴のようだ。人を案内するからには事前に下見をしておこうと出かけた結果が、技術力不足で遭難事故を起こしてしまった。

2.事前準備
 この鍾乳洞のガイド編の筆者はM氏だった。以前「東山ケイビング大会」でご一緒し、顔見知りだったので、いくつかの質問事項と測量図(平面・縦断面)を送ってくれないかと言う手紙を出した。M氏からはすぐ返事が来た。
 大スロープはザイルが必要。素人を4人も連れて行くなら、経験者が3人は必要とのことであった。この鍾乳洞の調査報告書と測量図も同封されていたので、何回も読み直し、測量図はほぼ暗記した。洞窟の中ではずぶ濡れになるので、測量図はすぐ使い物にならなくなるからだ。
 M氏からの返事を見て、素人4人を連れてザイルなしでは、第7洞から第1洞への通り抜けは無理だなと思った。どこまで入れるかを調べるつもりで下見をすることにした。

3.入洞
07:25
 ・「遅くとも20時までには電話する。順調なら帰宅予定は21時」として、自宅を出発。
電車とバスを乗り継いで鍾乳洞の登山口着。山道を2時間歩いて、某鍾乳洞の洞口着。
 ・途中にある集落でおばあちゃんに出会ったので、このところの雨の状態を聞いた。毎日夕立が降ったとのこと。洞内の水がやや多いのではないかと予想。
12:05~13:15
 ・洞口の少し手前の川原で昼食・着替え。

 ・装備は、ツナギ・ヘルメット・キャップランプ・軍手・登山靴のほか、膝と肘にスポンジ付のサポーター。いつもは地下足袋をはくのだが、今回は前日の帰りが遅かったので、玄関に置いてあった登山靴できてしまった。この登山靴はもう20年近くも履いていて、足には良くフィットする靴だ。しかし、靴底の合成ゴムはほとんどまっ平らになるほど擦り減っている代物だ。
 ・測量図の洞窟断面から判断すると、一番狭いところは、幅60cm・高さ30cmぐらいなので、ポケットが出っ張るものは一切置いて行くことにした。スペアーの電池もライトもザックに残した。ボールペン・磁石・測量図・調査記録・非常食(カロリーメイト1袋)だけを、ツナギのポケットに入れた。
13:15~13:30
 ・家を出かける前から「今回の穴は難しい、ひょっとすると事故を起こすかな」と、なんとなく不安に思ったので、B6判カードに赤い字で次のように書き置きし、第1洞の洞口に置いたザックに付けておいた。もっとも洞口に人が来るという当てはなかったが。
    お願い
  本日、第7洞から第1洞のルートで、1人で入洞します。
  もし、18時を過ぎてもここにザックがあるようなら警察に連絡してください。
    氏名-------- TEL----------
13:30~13:50
 ・第12洞・第15洞を偵察してから第7洞の下に行った。洞口までの崖に色あせた緑色のザイルがかかっていた。適当な間隔でこぶしが作ってあり使い易そうだったが、何年ぐらい経過したザイルか分からないので、右手のクラックを登って第7洞の洞口に達した。

13:50
 ・入洞開始
 ・一番左の大きな洞口は確認できたが、その右にあるはずの2つの洞口は落石に埋もれて良く分からなかった。
13:50~14:00頃
 ・入洞してすぐ後ろを振り向き、洞口の形を目に焼き付けた。
 ・さっそく水溜りの中に膝をついて進む。左に曲がって2mほどの竪穴に立つ。振り返ると天井付近に横穴が開口している。
 ・滴下水ホールまで石のごろごろした狭い通路を這いずっていく。
14:00~14:20頃
 ・水がボタボタたれている小さなホールに出た。これが滴下水ホールか。天井はチムニー(煙突状の垂直な穴)になってはるか上方に延びている。
 ・2mほど上に体の太さ程度の横穴が続いているので潜り込んだ。下り勾配の横穴の先は2mほどの垂直な壁となって落ち込んでいた。穴が狭くて方向転換できないので、足を先にして滴下水ホールまで引き返した。

 ・縦断面図によれば、かなり上まで登らなければならないが、チムニー経由で先へ進めそうだ。チムニーに取り付いてみたが、下のほうは幅が広すぎてチムニー登りができない。滴下水ホールの他の端からアプローチして4~5m登ったが、どうやら違うチムニーのようなので引き返した。

 ・また最初の横穴に入り、垂直の壁から思い切り頭を突き出して下を見た。足場はないが1.5mほど下で傾斜が緩くなっていた。これなら足場が見えなくてもズリ落ちて大丈夫だろう。
 ・もう一度滴下水ホールまで引き返し、足を先にして横穴に入り直した。垂直の壁は足場を定めないままの格好でズリ落ちて通過した。会社の若者を案内するときは滴下水ホールまでか。
 ・この壁を帰りはどうやって登ろうか、ちょうど自分の背の高さ一杯だ。壁を見上げながらしばらく考えたが、結論を出せないまま先に進むことにした。

14:20~14:30頃
 ・天井から岩が垂れ下がって頭をぶつけそうだが、やや広いホールを下ると、横穴が2つ並んでいる。ここはどちらを行っても同じ場所に出ることになっている。左の穴に入る。左右の穴が合流したところで、右の穴から元来た方向を覗いておいた。
 ・測量図によると、ここで主洞は左に大きく曲がることになっている。左に向かう下り勾配の横穴に入る。縦断面図から読み取った感じより、もっと急な下り勾配の狭い横穴だ。途中から登り勾配となり、方向も右に曲がったので、まず間違いないだろう。

14:30~14:50頃
 ・いよいよ大スロープに出た。粘土がのった45度ぐらいのフローストーンの一枚岩で、非常に滑りやすい。下のほうは更に傾斜がきついらしく、見えない。
 ・スロープは幅も広く、天井と床との間も距離があるので、とても突っ張り(チムニー)では降りられない。確かにMさんの言う通りザイルが必要だ。
 ・これをパスするルートが2つあると調査報告に書いてあったので、それを探した。
 ・第一のルートは、今通ってきた横穴の上方に開口し、大スロープの下まで通じる細い通路。第二のルートは、大スロープの中段に開口し、スロープの下まで通じているとのこと。

 ・第一のルートと思われる穴が2つあり、どちらに入ったら良いか分からないので、第二のルートを探すことにした。
 ・大スロープの中段は左右の壁が突き出し、幅が狭くなったところがある。そこには誰が付けたか、手掛かりとなる布製のベルトが残されていた。そこまで、おっかなびっくり、壁ぎわをチムニーの要領で下った。
 ・この状況ではベルトがしっかりしているかどうか確かめる余裕はない。ベルトにつかまりながら、第二のルートを探した。左側の壁の下に小さな口が開いていた。
 ・急な下り勾配の穴だったが、始めてなので進行方向が見えるよう、頭から突っ込んで入った。体全体が入った頃だろうか、突然滑り落ち、頭をガツンと岩にぶつけて止まった。それと同時にキャップランプも消えてしまった。

 ・ヘルメットをかぶっているので痛みはないが、首筋にかなりの衝撃を感じた。狭い隙間で、頭だけで逆立ちしているような格好なので息苦しい。しかも真暗。このままお陀仏になるのだろうかと一瞬恐怖が走った。
 ・足をバタバタやって頭が上になるように体勢を直し、キャップランプのスイッチを入れたら電気がついた。助かった。
 ・それから先もかなりの急傾斜で、半ば滑り落ちながら、大スロープ下の東西に延びる主洞に降り立った。2層に重なり、いたるところ溶蝕で上下の穴がつながった、歩きにくいところだ。

14:50~15:00頃
 ・「ここは右手の壁について東に進み、間違っても左手北側の支洞に入らないよう」と注意事項のあった場所だ。磁石で方向を測ってみたら間違いなく東西に向いていた。上り坂を登り切るといよいよプールのあるところだ。
15:00~15:20頃
 ・プールと言っても、長さ2m・深さ15cmぐらいだ。しかし狭い洞なのでそこを腹這いで進まなければならない。全身に冷たさがしみこむ。これから先は、主洞の中でも最も狭い部分なので、もう向きは変えられない。
 ・パイプ状の主洞がだんだん下向きになり、ついに頭を下にして垂直に下って行く。その底に着いたところで水平になり、向きも逆方向になったようだ。ここから西向きの最も狭い部分になるはずだ。予想したより左に左に曲がって行くので不安になったが、人の入れそうな分岐点はない。
 ・最後の上り坂のところは洞が極端にせまいので、完全に手足が延び切ってしまい、腹の蠕動運動(ぜんどううんどう)で進む羽目になった。おまけに前方は左にヘアピンカーブしている。苦労してそこをぬけ、後ろを振り返ってみたが、3年前に第1洞から入ってヘアピンカーブで撃退されたところとは違うような気がした。

15:20~15:50頃
 ・ここからは第1洞のはず。くねくね曲がった洞を下って行くと人が十分立てる大きな洞に出た。前回の記憶より洞の色が赤茶けすぎている感じだ。まず、今出てきた裂け目を振り返って記憶に留めた。
 ・トレンチ(水流のあるところだけ石灰岩が溶かされて、狭くて深い溝になったところ)に沿って進む。前に第1洞に入ったときの記憶では、幅は広いが天井が極端に低く、ずっと腹這いになって進んだ記憶がある。本当にここは第1洞なのだろうか。
 ・磁石を出して方向を調べた。トレンチの進行方向はおおむね南東なので測量図から見る限り第1洞と考えて良さそうだ。しかも断続的に、荷造り用の青いビニールテープがトレンチの底を這っている。たぶんどこかの探険部が新人訓練のとき張ったのだろう。

 ・しばらく進むとトレンチは左側(東側)の壁ぎわに寄り、右側に天井の低い広い床が広がってきた。トレンチの底には直径30cmほどのポリタンクのようなものが落ちていた。
 ・まずトレンチの左側にある大きな洞をつめてみたがすぐ行止りだった。次に右側の天井の低い部分に入り、這いずりながら第1洞の出口に続く穴を探した。ヘルメットがつかえて入れない部分もあったので、ヘルメットを脱いでキャップランプを外し、ランプを手で持って奥を照らして見た。狭い隙間に寝そべっているのでランプをあてた方向に顔を向けるのも一苦労だ。残念ながら穴は見つからなかった。

 ・ここが本当に第1洞なのかという疑問がまた頭を持ち上げた。天井の高いところまで引き返し、胸のポケットからズブ濡れの測量図をそっと取り出し、破れないよう丁寧に開いてもう一度じっくり見直した。磁石と合わせて見たが、洞の延びている方向はやはり第1洞と考えて良さそうだ。これが第1洞なら反対方向(奥の方向)に進めば第1洞のプールに行けるはずだ。それを確かめてみよう。
 ・第7洞との連結部にもどり、さっき出てきた裂け目を右に見て奥へ進んでみた。じきに行き止まりになってしまい、プールは無かった。やはりここは第1洞ではないらしい。

15:50~16:20頃
 ・もと来た穴を第7洞の出口に向かって引き返すことにした。狭い部分が今度は登りとなり、しかも穴が狭すぎて足の力があまり使えないので、帰りは相当な腕力が必要だった。冷たいプールをもう一度通り、大スロープの下にたどりついた。

16:20~17:00頃
 ・「さて、来るとき滑り落ちてきたパスルートはどれだろう?」とハタと困ってしまった。そう言えば、あのとき滑り落ちてきた穴をしっかり振り返っておかなかった。上から見た洞底の形の記憶から「この辺に降りたはずだ」というあたりから上に延びる支洞を登ってみた。
 ・40~45度ぐらいの急な登りの穴だった。初めは穴の形をしていたが途中から広い斜面のようになった。天井は大スロープほど高くないので、立ち上がれば背が届く。しかし足元は粘土のついた滑りやすい一枚岩のような感じで、恐くて立てなかった。
 ・そのような斜面を這いつくばって3mほど登ったら、左上方に大スロープの中段に通じると思われる穴が見えてきた。やれうれしやと思った瞬間、体がズルズルと滑り落ちて行くではないか。5mほどズリ落ちて停止。またジリジリと登ったが、今度は前のところまで行かないうちにまたズリ落ちた。こんなことの繰り返しでとうとう腕の力が尽き果て、元の洞底に戻った。全身泥だらけ。

17:00~17:40頃
 ・20分ほど休んだ後、今度は大スロープに真正面から挑戦することにした。岩場は下りより登りのほうが易しいからひょっとすると登れるかも知れない。スロープの真下に行ってみたら深さ2mほどの穴の底のようになっていた。その穴の壁をよじ登り、本斜面にでた。なるほど急な斜面だ。Mさんの調査報告書では50度となっている。ここも粘土がついて非常に滑りやすい。壁ぎわを細心の注意を払ってソロリソロリと登る。3~4mぐらい登ったところでついに足を滑らせ、穴の底へドスンと落ちた。
 ・この時は本当に肝を冷やした。ついに終わりかと思ったが、幸いどこも怪我がなかった。このときほどヘルメットに感謝したことはない。唇を少々切ったのと、左手の中指の爪が半分ほど剥がれただけだった。穴の壁がフローストーンをかぶり、丸みを帯びていたのが幸いしたらしい。
 ・これに懲りて、自力での脱出はあきらめ、救援を待つことにした。とうとう遭難事故を起こしてしまった。無理は禁物だなと反省したが後の祭り。

17:40~19:00頃
 ・大スロープからちょっと外れた主洞の比較的乾いているところで、平らな岩を尻に敷いて腰を降ろし、ランプを消して長期戦の構えに入った。
 ・記録でも残しておこうと胸のポケットを探したが、ボールペンはどこかで紛失したらしい。もっともボールペンがあったとしても、書く紙がびしょ濡れでは書きようがない。もし最後の記録を残すとしたら、石ころの角で床の泥に書くしかない。穴にはいるときは測量図はビニール袋に入れるというのが常識だが、いままでそれを怠ってきた。とうとうそのツケが回ってきたか。
 ・膝を抱えてじっとしていると、ゾクゾクとする寒さが襲ってきた。ツナギがずぶ濡れなのでなおさら寒い。ぐしょ濡れの軍手をしているより取ったほうが暖かいかもしれないと取ってみたが、しばらくすると鍾乳洞の冷気で手が冷たくなってきた。軍手を良く絞ってからまたはめた。やはりこの方が暖かい。
 ・下着は綿のステテコと半袖シャツだけ。これもたっぷり水を吸い込んで寒さに輪をかけている。穴に潜るときは毛糸の下着を着ると言うのが鉄則だが、これも今迄事故を起こさなかったせいか綿で通してきてしまった。

 ・主洞に座っているので風の通り抜けがあり、寒さも格別だ。ここで一服したいところだが、そんなものはない。たとえ持ち込んだとしても濡れてしまっては吸えない。
 ・いよいよ我慢できないほど寒くなってきた。歯の根が合わないとはまさにこのこと。歯のガチガチぶつかる音と、全身の震えが止まらない。ランプをつけて時計を見たら夜の7時頃だった。

19:00~19:40頃
 ・寒くて仕方ないので、大スロープのもう一つのパスルートを探してみることにした。電池の予備は持って入らなかったが、長持ちするアルカリ電池を入れてきたのでまだ2時間ぐらいは持つだろう。
 ・大スロープの上部に出るパスルートは、ここより奥で主洞に合流するはずだ。測量図はすでに一塊の土のようになってしまい、開くことは不可能。頭に叩き込んだ地図を頼りに、ここぞと思われる上向きの支洞を登った。だいぶ登ったところでこの穴は行き止まり。左側からもう一つの支洞が登ってきてこの穴とつながっていた。
 ・どちらの支洞も下部では主洞につながっているだろうと、たかをくくって、その穴を降りてしまったら、下は行き止まり。下った距離からすると主洞の真横か真上ぐらいに位置するのではないか。

 ・行き止まりの支洞なので風の流動はなく、主洞より暖かだった。床も比較的乾いており、今の登りで体力も大分消耗したので、ここで待機することにした。
19:40~21:00頃
 ・支洞のどんずまりでじっとしていた。風がないと言ってもやはりしんしんと寒くなってきた。ここにいたらレスキュー隊が来ても発見してくれないだろう。やはり主洞に戻ろうと決心し、行動開始。

21:00~21:30頃
 ・休んでいた穴を登って、元の穴へ戻る分岐点のところまで来たら、真っ直ぐ上にかなり長い穴が延びているのが見えた。ひょっとするとこれが大スロープの上に出るルートではないか。元の穴に戻るのをお預けにして、その穴を登った。この穴も急で、床は粘土で滑りやすかったが、穴が小さいので岩につかまって登ることは可能だった。
 ・更に上まで見通せる場所に来たのでライトを当てて見たら、大スロープにくらべて高く登りすぎているようだ。これは水島さんも注意していた、主洞北側の迷路群の一部かも知れない。その穴をあきらめ、元の主洞にもどった。

21:30~4:10頃
 ・最初休んでいたところで本格的に待機することにした。
 ・ジッと待つだけ。ただひたすら待つだけ。
 ・寒さがますますこたえるようになった。
 ・何回か小便がしたくなったので、大スロープの真下を通り越したところにある、人が入りそうもない穴の方でした。風はそちら側から流れてくるので、しばらくの間は小便臭い。まだ生きている証拠と苦笑いで済ます。

 ・レスキュー隊が来るとしたらいつ頃かを考えた。第1洞の入り口に置いた書き置きは人に発見されるかどうか分からないので、帰りが遅いことを心配した女房が最初に動き出すとして考えた。
 ・「遅くとも20時までには電話する」としておいたので、今日中には警察やケイビング仲間に伝わるだろう。連絡が真夜中になるので、装備を整えて出動するのは明日の早朝になるだろう。10時頃洞口にレスキュー隊が到着して、救助活動を開始したとすると、12時頃には発見されるかも知れない。それまでは何としてもガンバロウ。

 ・時刻の目標は立てたが、寒さがますます身にこたえる。はたして12時までもつだろうか。その前に凍死しないか。「凍死するときは最後はだんだん眠くなる」と何かで読んだような気がする。眠らないように用心しよう。
 ・当面は眠くなるどころの話ではなく、寒さに震えて、ガタガタ・ガチガチの連続。もし座っている場所の泥の中に小動物がいたら「なんだろうこの振動は」と思ったにちがいない。ひとしきり震えて時計を見ると、大体、1時間ぐらいずつ時間が経過していた。

 ・今にして思えば、第1洞の出口をもっと徹底的に探せば良かった。ビニールテープや丸いポリタンクなど、人が通った証拠がたくさんあったのだから「ここは第1洞だ」と確信して執念深く探すべきだった。しかし、今となってはあの狭い通路を這い抜けて第1洞まで行く気力はない。第一、電池がもたないだろう。

 ・真暗な中で、水滴の垂れる音だけが響いてくる。飲水として使えそうな水は近くにはない。入洞以来10時間以上も水を飲んでいないが、不思議と喉は渇かない。寒いせいかも知れない。
 ・既に夜中の12時をまわった。「助かる確率は50%ぐらいか、助かりたい、なんとか工夫はないものか」そんなことばかり考えていて、あまり家族のことは浮かんでこなかった。一瞬「まだやり残したことがあったな」という意識が横切った。これがもっと長時間になり、生死の境に近くなってくれば、多分家族のことで頭が一杯になるのだろう。

 ・胸のポケットに一袋のカロリーメイトがある。これをいつ食べようかずいぶん迷った。空腹に耐えられなくなるまで我慢するか、計画的に食べるべきか。結局、計画的に食べることにした。救助が今日の12時とすると昨夜の午後6時から計算してちょうど中間は午前3時だな。3時になったら食べようと決めた。

 ・寒さで震えがますます大きくなる。歯を固く喰くいしばっているので顎も疲れた。
 ・真暗な中でバタバタという羽音のようなものが2回聞こえた。コウモリか。コウモリが飛ぶならもう夜明けは近いのか。
 ・ライトをつけたらもう3時に近かった。カロリーメイトを食べることにした。封を切ったが中は粉々になっていた。こぼさないように一粒残さずなめるように食べた。これでもう食べるものはない。かえって糞度胸のようなものがすわった。
 ・また寒さとの戦い。足がマヒしないよう時々立って膝の屈伸運動をした。

4:10~6:10頃
(私の時計が狂っていたので実際は5:00~7:00だそうだ)
(穴の中を転げ回っているうちに、時計の表示が消えてしまったので、操作ボタンを押して直したが、その時、1時間狂ったらしい)
 ・突然、ガタガタという足音が聞こえ、すぐに「○○さーん、いますか!」と声がかかった。
 ・飛び上がるほど嬉しかった。声が良く通るよう、大スロープの真下に行き
  「ここだー」と返事をした。
  「怪我はないですか」
  「怪我はない、元気だ」
  「どこにいるのですか」
  「大スロープの真下だ、ランプで天井を照らしている所だ、見えるかー」
  「見えません、ザイルを降ろしますからどいてて下さい」
  「了解」

 ・このやり取りだけを聞いていたら遭難した奴が威張っているようだが、鍾乳洞の中は音が反響して長い言葉は聞き取りにくいので、簡潔に表現したまでだ。
 ・ザイルの端がバサッと落ちてきて、すぐ人が降りてきた。
 ・○○さんですか」「そうです」
 ・「こんなに早くレスキューに来て貰えるとは思わなかったです。本当に有難うございました」と握手したか、お辞儀をしたかは忘れたが、精一杯の感謝の気持ちを表わした。パイオニアケイビングクラブの○○さんとのこと。奥秩父を主たるフィールドとして活動しているクラブだそうだ。それならこの穴も隅から隅まで知り尽くしているのかも知れない。

 ・それからじきに第1洞側の通路からも何人かのレスキュー隊が現われた。ナップサックや直径30cmほどのポリタンクを持って、よくあの狭い穴を通れたなと感心した。それにはレスキュー用品が沢山入っていた。明治大学地底研究部OBの○○さんとのこと。「あなたともケイビング大会でご一緒しましたよ」と話してくれた。ケイビング仲間はありがたいものだ。

 ・だんだんと人が集まってきて、キャップランプでまわりが明るくなった。全部で7人のケイバーがレスキューに来てくれたそうだ。「ケイビング入門とガイド」の著者の○○さん(地球クラブ)もレスキューに来ているとのこと。
 ・それからのレスキュー活動は実に的確でスピーディーだった。こちらがやってもらいたいことを、何も聞かずに次々とやってくれた。
 ・まず「水をどうぞ」と清涼飲料の入ったペットボトルを出してくれた。
 ・次に「体力をつけてください」とチューブ入りの栄養食とカロリーメイトと菓子パンを出してくれた。今迄は空腹も感じなかったが食料があると腹の虫が鳴きだした。むしゃむしゃ食べた。

 ・その次は乾いた厚手のトレーナを出して「上の下着だけでもこれに着替えてください」とのこと。寒さで震えていたのでこれもありがたかった。
 ・その次は、人がすっぽり入れるような大きなビニール袋を出して「これに入って横になっていて下さい」とのこと。半信半疑で入り、横になっていたら、乾いた下着とあいまって、体温が逃げないのでポカポカ暖まってきた。
 ・そのうち、バーナーでお湯を沸かしてくれた。暖かさが全身にゆき渡った。

 ・「ヘルメットもかえたほうが良いでしょう」とキャップランプ付の別のヘルメットを貸してくれた。私のキャップランプはもう電池がないことを心配してくれたのかな。
 ・元気が出てくると早く出たいと気が焦り「ジッヘル(確保)用のザイルさえ降ろして頂ければ自分で登れますよ」と言ってみた。「洞窟の中に長く閉じ込められていると意外と体力が衰えているので、十分な準備をしてから洞口へ案内します」と言われた。

 ・そんな中で誰かが、レスキューで入洞するまでの経緯を簡単に話してくれた。ケイビング仲間のレスキュー隊は午前1:30ごろには洞口に到着していたが、警察は、暗いうちの捜索は二次遭難が心配だとして、朝7時から捜索開始と決めていたので、洞内に入るのを許可しなかったそうだ。ケイビング仲間のレスキュー隊が「洞窟内は昼でも夜でも真っ暗なのだから、今すぐに入らせてもらいたい。もし遭難者が怪我でもしていたら一刻を争う」と説得にだいぶ時間を費やしたとのこと。スンナリいけばもっと早くレスキューを開始できたようだ。結局、入洞できたのは5時だったそうだ。

ケイビング仲間のレスキュー
 ・第7洞と第1洞の両方から入って捜索してくれたそうだ。
    大スロープを滑り落ちて怪我をしているか、
    第1洞と第7洞の連接部分の狭い穴でつまって動きが取れなくなっているか、
    どこかの支洞に迷いこんで出られなくなっているか、
    電池が消えて動けなくなっているか、
  と予想をつけて、一刻も早く発見することを心掛けてくれたそうだ。大体予想した通りのところにいたので、発見も早かったとのこと。

 ・「でも怪我や骨折がなくて良かったですよ、遭難者が動けないとなると運び出すのに大変な時間がかかりますからね」とのことだった。私を発見したという知らせはもう洞外にも伝わっているそうだ。
 ・その間にも大スロープには私の救出用のワイヤーラダー(ワイヤー梯子)が2本張られ、ジッヘル用のザイルが2本張られた。
 ・準備ができましたとの知らせで、ハーネスを付けて、半ば引っ張り上げてもらう形で大スロープを登った。一人が私と一緒に登り、ワイヤーラダーに足をかけやすいように手伝ってくれた。確かに、斜面にたらしたワイヤーラダーは爪先を入れる余地がなく、登りずらいものだ。
 ・それから先の穴は横穴なので自分で進めると思ったが、チョット上り坂になると腕力が足りず、モタモタしてしまった。後ろからグイグイと押してくれたので、難無く洞口まで達した。滴下水ホールへの1.5mほどの壁は肩車で押し上げてもらった。

 ・第7洞の洞口に出たら、警察の捜索隊の方がいた。少し下に消防のレスキュー隊がいて7洞から降りる崖にザイルを張って待っていた。谷川を挟んだ対岸には人が7~8人いた。最初は野次馬かと思っていたが、警察の人が「奥さんも来ていますよ」と教えてくれた。目で探してみたら一番下のほうにいた。一番上で見ている人はさかんにビデオを回していた。まさかそれがテレビで報道されるとはその時は夢にも思わなかった。

 ・崖の上まで下ってゆく時「このくらいのところなら独りで歩けますよ」と言ったのだが、ケイビング仲間が私を抱き抱えるように降ろしてくれるので少々恥ずかしかった。多分、自分では体力の消耗に気が付いていないからと心配してくれたのだろう。
 ・崖もケイビング仲間が上で確保し、一人が私の下側について「足は岩に垂直に立てたほうが滑りませんよ」と親切に教えながらサポートしてくれた。

 ・谷川は飛び石づたいでも渡れそうだったが、バランス感覚を失っているといけないので、ジャブジャブと水の中を歩いて渡った。対岸の斜面を5m登ったところで家族が待っていた。女房・実兄・義弟の3人だった。
 ・私のスタイルは泥まみれで、ツナギのボタンも半分ほど取れ、前が開いて泥だらけの下着がのぞいているという、みじめなかっこだった。恥ずかしいと言う気持ちが先に立ち、女房に話した第一声が何だったか、今となっては覚えていない。


その他補足事項

 ・第一発見者は、たまたま土曜の夕方、鍾乳洞の前にキャンプをしにきたボーイスカウトの引率者の方だそうだ。18時前には私の「お願い」を発見し、18時まで待っていたが出てこないので、18:30頃警察に通報したそうである。
 ・警察から女房のほうに連絡が入ったが、まだ帰宅予定時間前だったので、女房も最初は半信半疑だったそうである。警察の勧めによりケイビング仲間の2人に連絡を取り、両氏から他の仲間にという具合で伝わったようである。
 ・20時まで待っても当方から電話が入らなかったので、女房が地元の警察署に捜索願いを出したとのこと。

 ・地元の警察署の捜索隊も地元の消防隊も一晩徹夜で洞口をガードし、明日以降の救助体制の手配を取っていたそうだ。
 ・家族は前夜遅く地元警察署に到着し、朝5時頃、警察の車で現地に向けて出発したそうである。出発してじきに現地から「遭難者発見、無事」の無線連絡が入ったそうだ。
 ・地元県警に応援の機動隊の派遣を要請してあったが「遭難者発見、無事」との無線が入ったので、応援隊が出発する前に出動を中止することができたそうだ。
 ・地元の村役場では翌日は日曜日にも拘らず職員全員に出動命令を出していたとのこと。消防隊では鍾乳洞の全支洞を捜索することも考えて、5Kmもの荷造り用ビニールテープを用意したそうだ。

 ・このことから考えると、警察・消防とも翌日は自分達で捜索・救出するつもりで、ケイビング仲間には道案内だけをたのむつもりだったようだ。
 ・民間人(ケイビング仲間)に捜索を任せて、二次遭難でもしたら、警察・消防としては世間に申し訳が立たないと心配したのかも知れない。
 ・救急車で地元の病院に運ばれたがかすり傷程度だった。日曜日にも拘らず出てくれた先生には申し訳ないようだった。爪が剥がれて泥がついていたので破傷風の予防注射をしてくれた。
 ・遭難事故は地元の多くの方々に迷惑をかけるものだと、つくづく感じた。

 ・それにしても「人命に関わることだ」として、明日の予定も投げ打って、深夜にも拘らず直ちに出動してくれたケイビング仲間には、感謝の言葉も見当たらない。レスキューの真髄を教わったような気がする。
 ・ケイビング仲間からは、一人のケイビング(ソロケイビング)はご法度であると、こんこんと説教された。

 

トップページに戻る場合は、下の「トップページ」をクリック