岩殿山(特殊ルート)

2012年4月、大学同期のO氏と岩殿山に登った。今回は通常ルートの大月からではなく、猿橋→東尾根→岩殿山→下畑倉→稚児落とし→兜岩→築坂峠→下畑倉→(車道)→大月というルートである(地図01)。ルート地図の赤線は登山道or自動車道、緑線は現在では廃道になっている。

地図01  猿橋→岩殿山→下畑倉→稚児落とし→築坂→下畑倉→大月と歩いた(赤:登山道or自動車道、緑:現在は廃道)

 猿橋に10:00に集合。跨線橋から見える岩殿山を見て、相棒は「案外小さい山だな」と感想を漏らしていた。登山口まで麓を歩いて、登山口10:50出発。途中、権現の窟屋(写真02)を見学。これは昔々岩殿山城があった頃は城兵の休息場所として使われていたとのこと。頂上広場には11:30着。頂上には、岩殿山城の井戸の跡も残っていた(写真04)。

     写真02 権現の窟屋(城兵の休息場所)

       写真04 岩殿山頂上の井戸

 頂上の最高地点は電波塔に占領されていてつまらない頂上だ。驚いたことに、裏側(北側)の下畑倉に降りる道らしきものがあり、私製の小さな道標が設置されていた。その道標を指差して、「この道は地図に出ていない、まだ通ったこともない」と言ったら、相棒は「それなら降りてもいいよ」と言っていた。おや、彼も当方みたいな冒険心があるようだ。「それなら昼飯食べたらこれを下って、下畑倉から築坂峠まで怪しげな道を登ろう」ということにした。

 広場の絶壁の上から大月市街を見下ろしたら、彼も「うーむこりゃすごい」と感心していた(写真06)。広場の東屋で昼食。広場の桜はまだ咲いていなかった。13:00出発。頂上に戻り、下畑倉への急坂を下る。道は明瞭についていた。降りたところは神社の境内らしい広場。橋を渡って下畑倉へ。

   写真06 岩殿山頂上から大月市内を見下ろす

 集落の中の曲がりくねった道を進んだがとうとう分からなくなったので、付近の民家で築坂峠への道を聞いた。おじさんが出てきて、「築坂峠への道はもう藪になっているだろう、とても口では説明できない」とのこと。指さした方向へ進むと、じきに踏み跡程度の山道になった。かなり痛んでいるが踏み跡はずっと続いている。作業用の道なのかもしれない。

 左手に送電線の鉄塔があるところで左右に分かれている。とりあえず水流のある右側の踏み跡を進んだ。この水流がいつまでいつまでも続き、結局1時間ほども沢に沿って登った。築坂峠にしては遠すぎる。左手に稜線があり、その上を登山者が歩いている。斜面を直登して登山道に出てみたら稚児落としの絶壁が眼前に見えた(写真08)。そんなところまで沢登りしてしまったのか。時間がかかるはずだ。「稚児落とし」とは、岩殿山城が落城して、裏山伝いの尾根を逃げるとき、赤子の泣き声が敵兵に聞こえるとまずいので、泣く子をこの壁から投げ落としたという伝説がある壁である。縦走路を岩殿山の方向に戻り、兜岩の鎖場を下った(写真10)。相棒も、「この鎖場は本物だ」と喜んでいた。

      写真08 稚児落としの岩壁

    写真10 兜岩の岩場を下る

 築坂峠に着く頃には、にわか雪もパラパラ降り始め、急に寒くなった。でも、築坂峠から下畑倉に下って、どこで間違えたか確かめることにした。築坂峠は昔、岩殿山城の大手門があったところと言われている。この道は昔からある道だが、やはり廃道になっており、何箇所か道が分かりにくいところがあった。20分で間違えた地点の踏み跡道に出会った。やはり、送電線の鉄塔のあるところだった。あそこで右に行ったところを左に入るべきだったことが分かった。

 下畑倉集落に出て、あとは自動車道を大月まで歩いた。下から見上げる岩殿山の絶壁にも相棒は感心していた(写真12)。大月駅に着いたら3分後に東京行きが出るというので、打ち上げの飲み会を開かず電車に乗った。

      写真12 大月側から見る岩殿山の絶壁

 

トップページに戻る場合は、下の「トップページ」をクリック