1963年の利尻岳(S39年)

大学2年のとき(1963年)クラスメイトと2人で、夏休みに国鉄の北海道周遊券を使って、18日間の北海道旅行をした。東京からの周遊券だとこの18日の外に、北海道に行くまでに1日、北海道を出てから1日の有効期間が付いていたと思う。値段は学割で18000円(当時の学割は半額)。道内は乗り放題、通過する東北地方は急行または鈍行の自由席に乗れた。

ユースホステルを使って道内で17泊し、一応、北海道を全て回るコースを作った。函館、札幌、襟裳、知床、層雲峡、稚内。いろいろな山に登る余裕はないので、登山は利尻だけにした。利尻岳は通常コースの鴛泊から登って、難しいコースと言われる鬼脇に下った。

地図1(北の鴛泊から登って、南の鬼脇に下った。鬼脇コースはかなり険しい)

300トン足らずの船で、まず礼文島に行き、島を一回りして、夕方利尻島の鴛泊に着いた。その日は鴛泊港を見下ろすペシ岬に登って、利尻岳と鴛泊港を観察した(写真1)。鴛泊は港の周りだけ人家があるこじんまりした集落だ。利尻岳が天を突くばかりに聳えており、港には白い鳥がいっぱいいた。ユースホステルは鴛泊にある神社の経営だったと思う。明日登山する人は入山届けを出してくれとのこと。営林署からそういうお達しが来ているようだ。

写真1(鴛泊港)

ユースホステルなので配膳や食後の食器洗いもある。夜はミーティングがあり、ペアレントの注意事項を聞く。このユースホステルで面白かったのは、敷布団は5~6人分ぐらいの幅があり、海苔巻きのように棒状に巻き付けてある。布団を敷くときは、それを転がして延ばして敷く。

翌日も天気は良好。火山なので水はない。たっぷり水をザックに詰め込んで出発。富士山と同じく成層火山なので、最初は裾野歩きで傾斜も柔らかだが、だんだん傾斜がきつくなり、日を遮る林もないので炎天下の登山だ。長官山(1218m)を過ぎるころには、暑くて暑くてうんざりした。長官山から見上げる利尻岳(1721m)もまだまだ登りでがある(写真2)。それから先はますます急な登りになった。でも休むと日が照っていても涼しい。さすが北海道だ。あのころは今ほど地球温暖化が進んでいなかったせいかもしれない。

へとへとになりながら、やっと頂上に着いた。それはそうだろう、富士山五合目までバスで行って頂上まで登るのより標高差があるのだから。富士山は5合目(2300m)~頂上3776m=1476mに対して、利尻岳はYH(40m)~頂上1719m=1679mなので、富士山より登りでがあるからだ。頂上には内地の山のように祠があった(写真3)。

写真2(長官山から見上げる利尻岳)

写真3(利尻岳頂上の祠)

さすがに北のはずれの山だけあって、内地の山のような混雑はない。涼しい風に吹かれながら弁当を食べる。仙法志尾根と沓掛尾根に挟まれた火口壁はなんとも壮絶だ(写真4)。仙法志尾根の通称ローソク岩(写真5)も素晴らしい眺めだ。あそこはとても手が出ない。

写真4(利尻岳の爆裂火口)

写真5(仙法志尾根のローソク岩)

頂上から少し南に移動したあたりで左手に鬼脇コースが分かれる。地図で見るとこの尾根に岩記号はあまり見られないが、どうして、どうして、コースの悪さは一級だ。ルンゼを手足を突っ張って下ったり、ロープにつかまりながらほぼ垂直の岩壁を下ったり。かなり下っても谷筋には水が現れなかった。途中から林道らしきものが現れ、裾野を延々と下って、やっと鬼脇に着いた。人家の数も結構あった。ここには旅館もあったので旅館に泊まった。当時は一泊二食付きで、旅館700円、ユースホステル500円という相場だった。

旅館のおばさんが我々の泊まった2階の部屋から「イカ釣り船の明かりが見えてきれいだよ」と教えてくれた。食事にも 水揚げしたばかりのイカの刺身が山盛りでついていた。「いくらおかわりしていいよ」とのこと。やっぱり、旅館の方がユースホステルよりいい。

 

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