丹那断層

 2018.12.15、丹那断層を見に行った。熱海で降りて、玄岳を越えて丹那盆地に下り、実物の丹那断層を見てから函南まで歩いた。天気は高曇りだったが穏やかな一日だった。
今回歩いたルートと丹那断層の地図は下のとおりである(地図01)。

        地図01(赤:丹那断層線、緑:歩行ルート)

 熱海からひばりが丘団地行きのバスに乗り、玄岳入口で下車。ハイキングコース入口には道標が建っている(写真02)、07:54登山開始。最初は住宅地の中を歩いてゆくが、和田山を過ぎると山道になる。直に熱海新道を陸橋で渡り、「才槌の洞」の看板を見送り、ジグザグ道でやや急な斜面を登ると、馬酔木の林の中の登りとなる(写真04)。頂上付近は熊笹の斜面を登る。頂上には09:50に着いた(写真06)。熱海の旅館街が眼下に見える(写真08)。

     写真02(玄岳登山口の標識)

    写真04(馬酔木の林の中を登る

       写真06(玄岳頂上)

      写真08(熱海の旅館街) 

 残念ながら箱根と富士山方面は雲に包まれ見えない。北側の稜線には伊豆スカイライン(写真10)が延びている。丹那盆地への道は、あの池(氷ヶ池)の脇を通ってゆく。
 玄岳を10:26に出発。10分足らずで伊豆スカイラインに出て、その脇にある展望台から丹那盆地を見下ろした(写真12)。穏やかでこじんまりした農地が広がっている。七人の侍の舞台となった農村を思い出した。

写真10(十国峠方向を望む:伊豆スカイライン、白く水面が見えるのが氷ヶ池)

写真12(伊豆スカイラインより見下ろした丹那盆地)

 そこからまた熊笹の斜面を下り、氷ヶ池の脇を抜けて、本格的な下り斜面に入った。ジグザグ道をガツガツ下って行ったら、植林された杉林の中に、大岩がゴロゴロ転がっている(写真14)。あの岩の大きさでは杉をなぎ倒さなければ中まで入れない。一瞬目を疑った。まるで知恵の輪だ。(正解は:丹那断層を起こした地震で大岩が転がった後に、杉を植林した)

写真14(杉林を倒さずに、この大岩はどうやって転がり込んだのだろう)

 熱函(ねっかん)道路を横切り、溜池を見て、11:57、丹那断層公園に着いた。公園の一角には資料館(写真16)があり、各種説明板と当時の写真が豊富に展示されていた。また、この断層面を観察できるようにトレンチも掘られていて、至れり尽くせりだ。断層遺跡として田代(丹那盆地よりさらに北方2.5km)の火雷神社も紹介されていた。ここは神社の階段と鳥居の間に断層線が入り、鳥居と階段が2mずれているとのこと。

      写真16(丹那断層資料館)

 断層はほぼ南北に走り(写真18)、当時ここにあった民家のごみ捨て場跡が真っ二つに裂けて、南北に2mほどずれた跡もハッキリ残っていた(写真20)。断層面観察のトレンチに入ると南側と北側の断面に現れた断層面が見られるようになっている。その断層面の傾斜が南北で一致しないのが気にかかった(写真22)。

写真18(黄:断層線、向こうに見える小屋が断層面観察小屋)

写真20(黄:断層線、赤:ゴミ捨て場の縁石、縁石が2つに割れて2m食い違っている)

写真22(南側壁面と北側壁面の断層の傾斜が反対になっている:南北壁面のスケッチは南と北を向いて書いたもの)

 断層公園を13:05に出発し、丹那盆地を北に向かう(写真24)。丹那盆地は、旧丹那トンネルの工事で水が出なくなり、農民が筵(むしろ)旗を立てて当時の国鉄の工事事務所に押し寄せたことでも有名なところだ。地元の農家の人と出会ったので、「今では水が出るようになったのか」聞いてみたら、「今は玄岳の下に溜池を作ってあるので、水の心配は無くなった」とのこと。先ほど見た溜池のことだろう。

写真24(丹那盆地、旧丹那トンネル工事で、ここの田に引く水が枯れてしまった)

 田代の火雷神社に向かうべく、ショートカットのつもりで川沿いの道を北上したら、途中で道が無くなってしまい、藪漕ぎになった。しばらく藪漕ぎしたがますます藪がひどくなるので(写真26)、アキラメて振出し地点まで戻った。この時刻では自動車道路経由で火雷神社まで行くには時間不足なので、函南駅に向かった。残念なことをした。

    写真26(だんだん道が消えてきた)

 函南への道をセコセコ歩きだしたら「集会所前」というバス停があった。地元の人の話だと、ここはバスは走っていなとのことだったので、念のため裏面を覗いてみたら、函南中学スクールバス専用と書いてあった(写真28)。気を取り直して、函南まで6.5kmをせっせと歩いた。途中で熱函道路が合流してくると交通量が多くなったが、ずっと歩道がついていたので危険は感じなかった。

  表の表示   裏の表示   ← 写真28(バス停の表示)

 函南駅に下るには途中でこの道路をエスケープして、山の斜面にある導水管(水道or発電所)の脇を通らなければならない。藪漕ぎを覚悟して道なき斜面を降りて行ったら、ひどい藪漕ぎになる前に導水管沿いの階段に出られたのでほっとした(写真30)。地図を見ると函南には「新幹線」という地名があるのに驚いた。新幹線用の丹那トンネルを掘った際の工事基地の跡なのかもしれない。あとは自動車道路を歩いて函南駅(写真32)には16:05に着いた。

        写真30(導水管)

       写真32(函南駅)

トップページに戻る場合は、下の「トップページ」をクリック