1959年の穂高・常念(昭和34年)

 高校2年の夏休みに同期5人で、7日間の山行(松本駅→上高地→奥穂→横尾→常念→須砂渡→豊科駅)をした時の記録が押し入れの隅から見つかった。黄色に変色した紀行文(写真1)は400字詰め原稿用紙で50枚という大作だが、自分で読んでも飽きる内容なので大幅にカットして、2018年10月にHPに載せた。
 問題は写真だ。社会人になってから転勤が多かったので、学生時代のアルバムは荷物を少なくするため全部捨ててしまった。小学校に上がる前から高校時代までの小さなアルバムが奇跡的に一冊残っていた。その中にこの山行の写真があり、7cm×5cm程度の小さな白黒写真が10枚ほど貼ってあった。

写真01 60年前(1959年)に書いた山行記録

7月23日(曇り)
 午前中テントのランプ用のカーバイドを取りに行き、午後、家を出発して新宿駅に集合した。当時の山の食料はほとんど缶詰だったので水をたっぷり含んでいる。ザックの重さは相当なものだ。15:30発の中央線鈍行に乗った。御嶽講の人々と一緒になった。鈴の音がにぎやかだ。5人なので1ボックスでは足りない。1人が近くの別の席に座ることにした。それを1時間交代にした。このことを島流しと呼んだ。空は厚い雲に覆われている。

 松本駅に午前0時ごろ着いた。待合室はイスが満席になるほど込んでいた。翌朝のバスの乗り場を確認しに外に出たら、タクシーの運転手から「どこまで行くの」と声をかけられた。「上高地・5人」と答えたら、「1人400円でどうか」と誘われた。「明日の朝、上高地に客を迎えに行くので、安くしておくよ」とのこと。それに乗ることにした。

7月24日(曇りのち雨)
 1:30ごろタクシーで松本発。暗いので梓川の峡谷が見えないのが残念だ。車は結構なスピードで飛ばすので、曲がり角に出っ張った岩にドカンとぶつかりそうで怖い。途中の駐車場らしきところで45分ほど寝た。
 それから上高地へ向けてどんどん登る。釜トンネルは結構な登り勾配で、行くにしたがってだんだんトンネルが小さくなる。岩肌は削られたままの荒々しい姿だ。バスに比べて車が小さいので、聞いていたほどトンネルが小さいとは感じなかった。トンネルを出たところの景色はうす暗いながらも素晴らしかった。

 河童橋で降りて朝めし。自分のザックが重すぎるので少し他人に移す。写真をとって、5:40ぐらいに出発。O1君、O2君、N君は歩くのが速い。A君は荷も一番軽いのに一番遅い。彼は個人装備だけなのにだんだん遅くなる。徳沢では完全に3人とA君が離れてしまった。
 そろそろA君がバテはじめた。「三分でいいから休ませてくれ」「二分休めば早く歩けるんだが」「一分でも止まってくれ」と懇願される。そこで、A君をトップにたて、例の3人で追い立てて、A君がこぼれるのを防いだ。

 横尾に着いたら、多くのテントが河原に広がっていた。丸木橋で梓川を渡ってテント場へ向かったら、遭難者をタンカで運んで来るのに出会った。全身がシュラフに包まれていたので、一瞬、峻となった。テント場着11:00頃。雲行きが怪しいので、すぐテントを張ってもぐりこむと同時に雨が降り出し、だんだんひどくなってきた。夕方になってから飯づくり。

7月25日(晴れ)
 4時ごろ起床。テントの入り口を開けたとたん思わず「すげえ良く晴れている」と言ってしまった。ここは屏風岩を横から眺められる位置だ。
 米とぎ。手に思わずハーと息をふきかけたくなるような水の冷たさだ。川原には手ごろな薪がたくさん転がっている。しかし、木が湿っているので思うように火がつかない。時間は遠慮なくすぎてゆく。もう他のパーティーは穂高めざして出発している。やっと飯が出来た。シン飯ではあるが昨日のよりはましだ。どうしても牛缶から先になくなる。最後まで残り結局余るのはカツオのフレークだ。

 テントに日が当たり湯気がたくさんでている。当時のテントはズック布製で水をよく吸い込むので重い。急いで食器を洗い荷造りして、8:30頃出発。自分はテントの入り口をしめ、周辺を片付けてから出発したので5分遅れて出発。合流点は涸沢ということにしておいた。

 皆に追いつくため横尾谷をガンガン飛ばす。横尾岩小屋の前を通ったが中で二人寝ていたので、岩小屋内の観察はせず素通り。左手に屏風岩の絶壁がのしかかるようだ。みな相当早いとみえて一向に追いつかない。A君がいるのだからもう追いついてもいいはずなのだが。

 涸沢のカールの底の雪の上に出た。さてヤツ等はどこにいるかと、15分ぐらい岩の上に立って探したが見当たらない。もっと上で待っているのかもしれないと思い、11:05に出発。もうこの辺にくると涸沢を囲むどの山もくずれ落ちんばかりに聳えている。

 ザイテングラードを登りだしたら、穂高小屋に突き上げる雪渓で大勢グリセードの練習をしているのが見えた。それにしても4人のヤツ等、どこまで行ったのだろう。フーフー言いながら、涸沢のテントが豆つぶのように見えるところまで登ったとき、だれかが「落石」とさけんだ。カランカランと小さな石が落ちてきたが直に止まった。道端に高山植物も咲いている。

 やっと雪渓を斜めにトラバースする所に出た。意外に穂高小屋が近かった。ここらで昼飯を食べたいが昼飯は彼らが背負って行ったのでカンパンしかない。すぐ急な岩場をハシゴで登り、直に奥穂頂上に着いた(写真02)。奥穂の頂上もすごい人だ。右手にジャンダルムが雲の中から時々うかび上がる。

     写真02 奥穂頂上

 時たま雲が切れて河童橋から順に大正池まで見えた。前穂はずっと見えていたが西穂はとうとう一度も見えなかった。ジャンダルムの方から犬を連れたパーティーがやってきた。犬はどうやってあの垂直に切り立った壁を通過してきたのだろう。それにしてもヤツ等どうしたのかな。

 13:45下山開始。穂高小屋からグリセードで下った。涸沢についてもう一度ヤツ等を探したが見つからない。15:45頃、横尾へ向けて出発。17:20頃テント着。もうみんな帰っていて、当方の寝袋も干しておいてくれた。ヤツ等は涸沢入口の明和高校山岳部の所で待っていたそうだ。おかしいな自分もそこを通ったのだが。

 晩飯はカレーを作っていた。肉のかわりに鮪のフレークを入れたそうだ。やっぱり自分がいなくちゃだめだな。そのためにコンビーフを買ってきてあるのに。どんな味になるか楽しみだ。明日また奥穂へ出かける事にした。夕方は木が乾いていたので朝とは燃え方が違う。

7月26日(晴れ)
 今日も昨日に変わらぬ良い天気だ。飯盒炊さんに時間がかかり、出発したのは8:30になっていた。涸沢で昼食。ここから見る前穂はかっこいい(写真03)。大雪渓の下の方では夏スキーをしている人もいる。

          写真03 前穂北尾根

 12:15そろそろ出発。ゆっくりしすぎた。O1、O2、A君はザイテンを登ると言うのでそちらへ。自分とN君はアイゼンをつけて雪渓を登る。ザイテン組がなかなか速いので、途中からこちらもザイテンに逃げて登った。涸沢が箱庭のように見える。前穂北尾根も例のノコギリがすばらしい。穂高小屋で一同揃ってから奥穂へ(写真04)

    写真04 穂高小屋前にて

 穂高小屋上の岩場をA君登れるかなと、みんなでA君をはさんで登った。奥穂の頂上は昨日と同様、足のふみ場もないほどの混みようだ。誰かが(休憩時間制限のため)パーキングメータが必要だと言ったら付近の人が大笑いしていた。至る所ケルンが立ち並んでいる。写真だけ撮ってすぐ、涸沢側の斜面でカンパンを食べた。

 雲がすごい早さで尾根を乗り越して来る。昨日より上高地は良く見える。そのかわりジャンダルムが見えがくれだ。あさって行く予定の常念が屏風岩の上あたりに見える。常念だけ実に見事なピラミッド型をしている。いよいよ下りについた。A君の一番苦手なときになった。

 穂高小屋の前からグリセードで下る人が次々にすべりおりて行く。ピッケルを持っている人はほとんどグリセードだ。ここでザイテン組とグリセード組に分かれて下った。涸沢で合流し横尾へ。A君が遅いので元気3人組が先に下って晩飯の用意をすることになった。

 夜に入るとあちこちのテントで賑やかにファイアーを始めた。手拍子をとりながら木曽節も聞こえてくる。我々のファイアーも人様に負けずに炎が大きい。もうテントにもぐりこんだ組のあかりがテントをポッと浮き上がらせている。黄色のテントなんかよく目立つ。あちこちで懐中電燈が暗い中をフワフワしてきれいだ。イタズラに懐中電燈をパッパッとやってみたら、その方向の電燈の半分ぐらいがすぐパッパッと応えた。

7月27日(晴れ)
 明日は一の俣を突き上げて常念乗越に行くハードな行程なので、今日は一日休養日。午前中は河原で寝転んだりしながらゆっくりした。午後横尾山荘に行って絵ハガキなどを買ったついでに一の俣の様子を聞いた。道はつい最近修理したそうだ。

 明日の出発が早いので相談の結果、朝テントをたたむと時間がかかるので、今夜はテントをたたんで野宿することにした。夕方から晩飯の用意。カレーライス。今夜は夜どおし火をもやすので木をたくさん集めたり、米をといだり野菜をきざんだり、みな分かれて仕事をした。

 連日の晴天で薪は良くもえる。御飯の炊けるまで薪集め。ファイヤーも昨日の3倍ぐらいの大きなのを作り薪をたっぷりつめこんだ。御飯も炊きあがったのでカレーをかけて食べてみたら、辛いだけで全然うまくない(当時はカレールーなどなく、SB食品のカレー粉を入れ、小麦粉を入れて作るのでうまい味を出すのが難しい)。それでもみなたっぷり腹に詰め込んだ。デザートはココア。ゴクリゴクリ飲む。これはうまい。

 ファイヤーの火を絶やさないため、交代で誰か火の番をすることにした。時刻も遅くなったので寝袋に入って満天の星空を仰ぎながら、「星の数をあてたら明日の荷物を1貫目減らしてやる」などと冗談を言いながら、いつの間にか寝入ってしまった。

7月28日(晴れ)
 3:30ごろから朝飯準備。早めに飯を済ませて荷造り。6:30出発。横尾から槍沢に沿って登る。荷が重い。どこかの山岳部のあとについて行く。たびたび立ち止まって困るが追い越せるほど道が広くない。一の俣小屋7:15着(この小屋も、一の俣ルートも、今はもう無い)。10分ほど休憩。

 一の俣の道に入ったら、元気な4人連れが「岩登りがあるぞ」と言いながら追い越して行く。道も悪い。沢の両側にちょくちょくガレがある。うっかりするとすぐガレにひきこまれる。道はぐんぐん登る。急な山腹に桟道がかけられている。追い越して行った者が見えなくなったと思うとすぐ上の後ろの方にいたりする。とんでもなく複雑なルートだ。

 この辺は地図で見ると、二段の滝、七段の滝、一の俣の滝、山田の滝、常念の滝と五つも滝が連続している。ザックの荷が重いので、急斜面のはしごの段差が大きい所などは足だけでは体を押上げられない。手の力も使ってよじ登る。次はすごい下り。ほんとうに木の根岩角につかまっての下り。荷が重いので怖い。こんなことの繰り返しで、苦しいわりに距離も高さもあまり進まない。

 急な下りを降りきって沢に出た。ちょうど滝の落ちている所で冷たく気持ちがよいが、やっかいな岩壁のヘツリだ。オーバーハングした岩壁を鎖につかまって水際をヘツッてゆく。重いザックで後ろに引かれるので激流に落ちそうで怖い。真剣に腕の力を振り絞ってなんとか通過する。5人とも無事ヘツリを終え、集まって一休み。両岸とも見上げるような絶壁。みんなから、「こんな難しいルートを選ぶとは」と非難されてしまった。

 こんなことを繰り返しながら、ある沢筋にでた。先のパーティーが立ち止まって沢を見ている。行って見ると道が無くなっていると言う。なるほどどこに行ってよいのか道が無い。その時、渓流釣りをやっている人が来て、ずんずん沢の奥の方に入って行く。そして岩壁によりかかった岩のすきまにもぐりこむ所で「ここ、ここ」と手でさして岩の影に消えて行った。

 その通りに行って、岩のすきまの所で驚いた。ずいぶん狭い。ザックの幅が広すぎて背負ったままでは通れない。ザックを置いて自分だけ通り抜け、仲間からザックを押し上げてもらって上で受け取った。全員それを繰り返して突破。面白かったがやっかいな所だ。

 「常念小屋まであと1時間」という道標があった。ここで昼飯と決めた、11:30。バテても飯だけは別。みなたらふく食べた。休んだりしているうちにいつのまにか寝てしまった。目がさめたら13時だった。やっぱり寝不足なんだな。

 エッチラオッチラ登ってゆくと常念小屋の水場に出た。発動機で水をポンプアップしているようだ。そこから道は沢から離れてぐんぐん登る。テントの跡があった。さてここが思案のしどころだ。常念乗越まで登ってテントを張っても、水をここまで汲みに来るなら、ここでテントを張った方がよい。

 2人が偵察に行く事になり「オレともう1人誰か来い」と言ったらじゃんけんをやっていた。A君は残りにきまっている。じゃんけんしていた元気3人組が、「俺たち3人で行ってくる」と言い出したので、「なら行って来い」とまかせた。

 そのうち3人が帰ってきた。乗越まであと20分だという。テントの張る場所はあるけど水はどうだかわからないとの事(近くにある常念小屋に行って聞けばいいのに)。とにかく景色が良いから、できれば上でテントを張りたいと言う。水が問題だ。たまたま、下の沢に木こりみたいな人が来たので聞いたら、小屋で20円払えば水をくれるそうなので乗越でテントと決めた。

 林のあるうちにマキを集めて出発することにした。各自一食分のマキ集めにかかった。みな良くやる。いくらでも枯れ枝が落ちている。皆ひとかかえ集めザックに積んで常念乗越をめざした。直に乗越へ出た。常念乗越についたらものすごくいい眺めだ(写真05)。大切戸~南岳~大喰間はなるほど雪がたくさん残っている。槍の少し左に傾いている形も素晴らしい。東側は遠くの山はほんとうに墨絵のようだ。一番最初にわかったのは煙の出ている浅間山。あとはよく分からない。

 前穂     奥穂       北穂   キレット   南岳      大喰岳       槍      北鎌

                     写真05 常念乗越からの槍穂絶景

 常念乗越には中学生のグループが3つぐらいと一般の人が所々にいる。中学生のさけび声、歌声、よび声が無ければ静かでおそろしいくらいだろう。東から吹きつける風が今までとくらべると強い。さっそく小屋へキャンプの届けを出しに行く。

 16:20に着いてすぐテントを張り、メシの支度。薪をもってきた甲斐あって盛大に燃える。他の組は今ごろ薪を拾っている。暗くならないうちにと急いで食器を洗い、まわりの整備にかかった。カマドの向きが悪い。風と反対だ。明日直すことにした。風でテントがバタバタする。少し張りを強める。
 今夜も天気が良い。星がみる間に数を増す。石のごろごろした広い乗越には人影も少なくなった。常念への道はだいぶ急だ。テントの窓から槍が見える。槍がまだ黒く浮き上がっている。寒い。2500メートルの高さだけある。

 さて今夜は騒ぐべしというのでテントにもぐりこんで花札。とっておきのアメを配給。寝てから考えてみると一の俣に10時間もかかってしまった。案内書では横尾から乗越まで4時間30分だ。でも誰も事故を起こさず無事で良かった。風がテントをバタバタさせる。背中がまだヒリヒリしている。

7月29日(晴れ)
 5時に起きて乗越の最高点へ行って見ると東の方の空がなんとも言えない美しい色にかがやいている。常念名物の雲海は出ていなかった。山々が墨絵のようだ。西を見ると青空に槍がそびえている。

 昨日残りの米を調べてみたら一食分足りなかったので今日の朝はぬきだ。みな観念して誰も欲しがらない。常念の頂上に行けば昼メシが食えるので、皆せっせとメシを炊いた。そのうち日の出。槍にも日があたり雪が白く輝きだした。さぞ槍の穂先は人で一杯だろうな。

 小屋泊りの人はもうほとんど出はらったろう。8時乗越出発。すごく良い天気。手前のピークまでかなりの急登だ。下からみると芝のようだったのがそばに行くと這松だった。道は全部岩や小石なのでゴロゴロして歩きにくい。展望は刻々すばらしくなっていく。ここの岩には赤で印がついている。常念や一の俣は印にいろいろな色を使っている。下から順に白、緑、黒、赤。

 だいぶ登りでがあったが頂上に着いた(写真06)。思ったよりせまい。岩の露出した一番高い所を占領する。北アルプスの展望台としては最高だろう。名前がほとんどわからないのが残念だ。左から、前穂に始まる堂々たる穂高山群、涸沢の大雪渓も豊富な雪を残している。前穂北尾根の末端にある屏風岩が貧弱なのに驚いた。下から見ると雄大な岩壁だったのだが。

      写真06 常念頂上にて

 北穂から尾根はガクンと落ちて大切戸になり、またあがって南岳・中岳・大喰岳と続いて槍へ。北穂の北側にはまだすごく雪が残っていた。槍の北(右)にギザギザの北鎌尾根が続いている。山の配置の関係で槍の方が穂高より高く見える。青空にくっきり浮び上がった稜線の形が素晴らしい。

 後ろ(東)を見ると、浅間・八ヶ岳・富士・南ア、その右側に中央ア・御岳・乗鞍、何とも言えないゴージャスな眺めだ。南に蝶・大滝、北に大天井。常念が前衛の山では一番高いので景色が良い。それに天気にも恵まれた。

 さて飯を食べることにした。昼飯は10時30分からとし、まず桃カンを残雪に埋めて冷やす。いよいよ10:30になった。今度は景色なんかに見とれていると缶詰がどんどん無くなる。皆、必死に食う。なにしろ朝飯ぬきだから。無事食事も終わり食後のフルーツとしゃれこんだ。

 食べ物もなくなったので思い思いに岩の上で寝たりしているところへどこかのおじさんが来た。話してみると24日から歩きはじめて、立山から縦走してきたそうだ。手の甲が真っ赤に日焼けしている。地図の赤線を見るともうだいぶ北アをやっている。話によると雪が多くて(水場があるので)ほとんどどこでもテントを張れそうだった。素晴らしく良い天気の連続で白黒のフィルムなんか入れられなかったとのこと。

 頂上で3時間ねばり12時出発。下りは猛スピードで下った。景色なんか見るどころじゃない。乗越についたら膝がふるえていた。常念頂上にはかなわないがここでの景色だって絶対にすばらしい。

 明るいうちに明日の食事の用意をした。明日は長距離を下るので途中で飯を炊いている時間はない。明日の朝二食分をいっぺんに炊くことにした。コッヘルで朝食分。ハンゴウ2つで昼食分。味噌汁はカマドの都合上ハンゴウ1つ。全部用意してカマドにかけ、火をつけるだけにして寝た。

7月30日(晴れ)
 3:40ごろ、皆を起こして出発の用意にかかる。風がつめたい。誰でも外に出ると一度は乗越の最高点にまで行って景色を見る。夕方とは全く逆の方向から風が吹いているのでカマドも反対の方向からマキをくべる。風がだいぶあるので良くもえる。空は青黒いまでに良く晴れている。

 火がすごい勢いで燃えている。小枝でどんどん燃やす。背中はヤッケを着ていても寒いが顔は炎でほてっている。だいぶ明るくなっているのにそれでも炎で地面の石ころが照らされるほど良く燃えている。他のテントもそろそろ起きだしてきた。

 御飯の方は調子良い。山で食べる最後の食事。味噌汁が極端に少ない。こぼしたり蒸発したり、もともと少なかったので飯ごうに半分ぐらいしかない。それを5人で分ける。槍穂を真正面に見ながらフーフーいいながら食べる。最後と思うとよけい食欲が出る。しかし一人当たりの量は決まっているので、飯盒に張り付いたオコゲをあさるようになる。カリガリという音を立てて食いつく。苦い。

 テントの撤収。テン場の後かたづけ。それぞれ自分のザックを調整。少し早く用意が終わったので最後だとばかりにハイマツの上に横になる。クッションが利いていて気持ちが良い。目に入るのは青い空だけ。槍~北穂の稜線をもう一度眺める。乗越を一歩でも下がればもうあの山々は見られない。

 今日は2500mから800mまで一の沢に沿って延々と下るだけ。13:27のバスに間に合わせたいのでガツガツ下る。ようやく水場に出た。残雪もある。これからの道は沢ぞいだが階段が多い。したがってA君が早速音を上げた。そのうち河原歩きになった。残雪がだいぶありスノーブリッジなども残っている。雪を食べて5分休み。水はザーザーと気持ちよく流れている。河原でもけっこう急だ。その石ころだらけの下りにくい道を行く。ペンキで印がついているので道は迷わない。

 あとはバスに間に合わせるため、皆でA君の面倒を見ながら、延々と長い一の沢を下った。やはり1700mの標高差は厳しかった。なんとかバスに間に合った。

 バスで豊科まで行き、松本へ。16時松本発の鈍行で新宿へ。幸い席は楽にとれた。山の話をしながら車窓から景色を見る。どこもあまりかわらない景色だ。登りは機関車(SL)も苦しそう。トンネルに入るとバタバタいっせいに窓をしめる。出ると、競争でもするかのように窓を開ける。なにしろ暑い。

 そろそろカツギ屋が乗り込んできた。茅野では八ツ岳や蓼科帰りがゴッソリ乗り込む。だいぶ混んできた。八ヶ岳が大きい。富士見からは下りばかり。列車もはやい。トンネルに入っても窓をしめなくてよい。カンパンを食べたので水を飲みたい。韮崎でスリルを味わいながら水くみ。(注:今となっては「スリルを味わいながら水汲み」の意味不明)

 甲府からは列車はすく一方。もう景色も見えないから話すだけ。みなヤケに下界下界という言葉を使う。話に夢中になっているうちに相模湖。もう都会に近づいた。早いなー。今日の朝はまだアルプスにいたのに。車窓から見える家々はみな戸をあけて涼んでいる。完全にもう都会だ。ピーと殺風景な音をたてて電車がすれちがってゆく。新宿には22時ごろ着いた。(完)

 

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