スイス紀行

 2014年10月、スイスを旅行した。夏のバカンス時期も過ぎ、どこも空いていたのでゆっくり旅することができた。
今回のコースは図01の通り。左下、フランスのシャモニーからスイスに入り、赤線のように反時計回りに回って、ベルンからバーゼルに抜けると言うものである。

            図01 スイス紀行のコース(反時計回り)

第一日目(晴れ)
 パリ・ドゴール空港は都心から22kmしか離れていないのに、周辺は畑に囲まれていることに驚いた。空港からRERと地下鉄を乗り継いでパリ19区のホテルに入った。        

第二日目(晴れ)
 乗車列車は10:41発のアヌシー行きTGVだ。二階建て車なので天井が低く飛行機に乗っている感じだ(写真02)。リヨン駅の手前で大きく左カーブして在来線に入った。かなりの勾配線区を列車がゆっくり登っているので、見てみたら単線の線区だった。単線の在来線までTGVが乗り入れるとは思わなかった。

   写真02 2階建車のTGV(天井が低く、飛行機のようだ)

 14:35、5分遅れでアヌシーに着いた。ここで1時間後の列車に乗り換えなので街の中を歩く。アヌシー湖から流れ出す川が町の中を貫き、両側に古い民家が並びなかなか美しい(写真04)。のどが渇いたので川沿いのレストランに入り、コカコーラのボトルを頼んだら、ここで飲むのかと聞いてきた。Take outだと言ったら、それでは売れないとのこと。フランスのレストランは融通が利かない。

         写真04 アヌシーの流れと古い民家

 アヌシー発15:32の電車で次のSt Gervais Fayetまで。ここでやっとシャモニー行きの列車に乗れた。シャモニー行きの電車が出発すると直に若い女性の車掌が検札に回ってきた(写真06)。そのいでたちも如何にも観光地と言う感じだ。駅を出てすぐに、キャシャなひょろ高い橋脚で支えられた道路橋を見上げる(写真07)。地震のない国ではこれでもいいのかね。

  写真06 シャモニー鉄道の車掌さん

     写真07 きゃしゃな橋脚の道路橋

 山間の渓谷に沿って進むと、だんだんと景色も良くなり、雪のついた山々が天井の窓に見え隠れするようになった。直にモンブランも見えてきた。アルプスの山は大きい。

 いよいよ最終目的地のシャモニーに着いた、17:50。シャモニーは高い山で囲まれていて、どちらを向いても絵葉書のような景色だ。駅前から賑やかな通りを進む。3分ほどで今日のホテル:ポアンイサベルに着いた(写真08)。

写真08 シャモニー駅からのメイン道路:左角が今日のホテル:正面が駅

 宿に荷物を置いてから街の中をぶらついた。18:00と言ってもヨーロッパではまだ明るい。街の真ん中を流れる川は氷河の水で灰緑色に濁っている。これは氷河が運んでくる砂が混ざっているからだ。メインの通りを一回りしてホテルに戻り、ホテルのレストランで食事。

 メニューは英語だったが料理の内容がよく分からない。スープとサラダとシャモニーハンバーグを頼んだ。スープはまあまあだったが、サラダが出てきてそのボリュームに驚いた。ビールを飲みながら、いくら頑張っても食べ終わらない。メインディッシュを持ってきてくれとウエイトレスに英語で頼んだが、サラダを食べ終わるまで一向に持ってこない。とうとう相手がたまりかねたか、サラダを取りに来て、代わりにシャモニーハンバーグを置いて行った。

 シャモニーハンバーグとは、丸いパンの間にベーコンや野菜などをたっぷり挟んで積み上げ、それを上から長い竹の串で突き刺したものだった。食べてみて驚いた。ベーコンは真っ黒焦げでカリカリ、ナイフで切るとカチンと割れて皿から飛び出す始末。野菜も黒こげで種類も分からない。たぶん、お客がサラダを食べ終わるまでオーブンに入れて暖めていたのだろう。それも長時間になり、ベーコンも黒コゲになってしまったので、シェフがたまりかねてウエイトレスにサラダを引き上げてこいと言ったに違いない。

 もうこの料理を引き上げてよいというときはナイフとフォークをそろえて置けば次の料理を持ってくるというルールを知らなかったからだが、料理を食べる順番まで強制される、この西洋料理の作法は本当に不便だ。昨年ウイーンの和食屋に入った時も、まず「ミソスープ」と題して味噌汁だけが出てきたので、「日本ではすべての料理をいっぺんに出すのがルールだ」と言ったのだが、ぜんぜん聞く耳を持たなかった。

 長時間食事と格闘した割にはあまり充実感のない食事を終えてから、夜のシャモニーを歩いてみた。半袖では少々寒いくらいだった。それでも道路にはみ出したテーブルで、ビールやコーヒーを飲んでいる人がたくさんいた。

第三日目(晴れ)
 朝食は副食が豊富で旨かった。ホテルを8:30頃出た。ホテルでもらった街の案内図を見ながらモンブランの展望台:エギュードミディに行くロープウエイの山麓駅に着いた。この時間ではまだ待ち行列も長くなかった。50人乗りくらいの大きなゴンドラで中間乗り継ぎ駅に向かう。少し登ると進行右手に、モンブランから流れ下っている氷河の中で一番低い所(標高1600m)まで流れ下っている氷河が見える。時間があればあの舌端まで行って見たいものだ(写真10)。

      写真10 モンブランから流れ落ちる氷河の舌端

 乗り継ぎ駅に着くとさすがに、エギュードミディの岩峰が恐ろしい高さと急峻さでそびえている。あそこまでロープウエイで登れるのかと一瞬目を疑った。いよいよ頂上駅に着いた(写真12)。高さは3842m。恐らくヨーロッパのロープウエイでは一番標高が高いのではないか。

        写真12 山頂のエギュードミディ駅

 本格的な登山をする人が外に出る氷のトンネルがある(写真13)。その外側には雪と氷の尾根が続いている。モンブランやグランドジョラスに登るのならここから出る必要がある。

    写真13 エギュードミディ駅から外に出る氷のトンネル

 エギュードミディの駅は2つの岩峰にまたがって設置されていて、この橋(写真14)でつながっている。自然を力でねじ伏せたという感じの作りである。日本なら自然景観と調和するように造るだろうに。農耕民族と狩猟民族の違いか。

   写真14 エギュードミディ駅は2つの岩峰にまたがっている

 頂上の展望台に上がるとモンブランを背景に記念撮影できる。ここからの眺めは圧巻である。まず、盟主のモンブラン4810m、その手前を流れ落ちるモンブラン氷河のクレバスがすごい(写真15)。反対方向には、圧倒的な存在感で聳えるグランドジョラス、遠くにマッターホルンも見える。残念ながらイタリア側の展望台に行くロープウエイは10月では既に運休になっていた。見下ろすとシャモニーの谷が全部見渡せる(写真16)。シャモニーはあまり大きな街ではない。たっぷり頂上の景色を楽しんでから下りについた。

        写真15 モンブラン氷河のクレバス

          写真16 シャモニー谷の全景

 11:55ごろ麓駅に着き、早速、モンブランとは反対側の山のロープウエイ乗り場に向かう。しかし、こちら側のロープウエイはすべて運行を終了していた。しかたないので、氷河見物のSL登山鉄道に乗ろうとシャモニー駅に向かった。SL鉄道の駅はシャモニー駅の裏にある。駅前に行ったが森閑としている。駅の入り口の扉を押してみたが開かない。近くのベンチで休んでいた地元の人が「もう運休だと」教えてくれた。10月になると、シャモニーではエギュードミディ以外は全部止まってしまうのか。出かける前にしっかり調べておくべきだった。

 しかたないので時間つぶしに、このSL登山鉄道が行きつく氷河が流れ下って来るところまで行って見ることにした。1時間ほど歩いたら、氷河が溶けた川が合流する地点に着いた。砂を大量に含んでいるので水は濃い灰緑色に濁っている。ここから後ろを振り返るとエギュードミディに行くロープウエイの鉄塔が斜めに建っているのが見えた(写真16-2)。斜面に垂直になるように建てたのであろう。

写真16-2 斜面に垂直に建てたロープウエイの鉄塔:傾いている

 それから少し歩いたところで柴犬を連れた現地人に出会ったので、英語で「その犬は日本で一番有名な犬だ」と言ったら喜んでいた。最近はフランスでもこの犬を飼う人が増えているとのこと。

    写真16-3 途中で、柴犬を連れたフランス人に出会った

 このまま上流に進むとスイスとの国境まで行ってしまうのでシャモニーに戻ることにした。シャモニーからスイスに行く鉄道線路の下を道路がガードでぬけるている。たまたま通りかかったトラックのボックス型荷台がガードに触れてガランゴツンと音を立てている。高さ制限は3mと書いてあるのに無理を承知で通り抜けているようだ。当方がトラックの運転手に指を向けて「ぶつかっているぞ」とゼスチャーで示したが、苦笑いして強引に通り抜けて行ってしまった。フランスのトラックの運ちゃんは無茶をするものだ。このガードは明日の列車で通るところなので、橋桁がずれていないか十分注意して調べたが、素人目には異常は見られなかった。

 帰りは来た時と違う道を下ってシャモニーに戻った。14:30ごろ、のどが渇いたので沿道の農家が開いているテラスに入ってコーラを飲んだ。このテラスからはAiguille山の3つの針峰(写真17)が手に取るように見えた。その景色を売り物にしてテラスを出しているのだろう。日本では見られないスケールの大きい針峰だった。

          写真17 Aiguille山の針峰

 その少し下流で氷河から流れて来たばかりの水をため、土砂を沈殿させ、砂を取り除いている沈殿池があった(写真18)。そこには取り除いた砂を積み上げた白い山が出来ていた。これを建設現場にトラック輸送して使うのだろう。山砂なので塩分がなく需要が多いのかも知れない。いくら沈殿池で土砂を取り除いていると言っても、まだ砂が一杯含まれている。このためシャモニーの街を流れている川が灰緑色をしていたのだろう。

         写真18 氷河の砂を沈殿させる池

 15:00ごろシャモニーの中心部に戻った。観光案内所に寄って、シャモニーのChinese Restaurantの場所を聞いた。西洋料理は昨日の食事で懲りたからだ。タバコ屋で一番軽いタバコを買ったら6.5ユーロだった。日本円に直すと900円ぐらいになる。ヨーロッパではタバコが高い。夜は雪園という中華料理屋で食事。味はまあまあだった。

第四日目(晴れ)
 シャモニー7:54発のスイス方面に行く列車に乗るので、7:30頃にはチェックアウトしたかったのだが、フロントの女性が7:40頃にやっと出勤したのでそれまで待たされた。駅に向かう途中、エギュードミディに朝日があたりきれいだった。

 シャモニー駅に着いたらもう列車が入っていた。同じくツェルマットに向かうと言う台湾外語学院の日本語科の女性教員3人組と乗り合わせ、話がはずむ。彼女らの行程は21日間とのことで日程表を見せてもらったが、地名が漢字表現なのでよく分からない。ユングフラウが少女峰というのが面白かった。

 それから先の線区は谷が深くなり、四国の祖谷渓のバス道路を列車が走っているような感じになった。スイスのMartignyで本線に合流する直前の地形は、グーグルアースで調べると、標高差400mにも達している。ここをアブト式の線路で2回のΩカーブを描いて降りて行く様は鉄道ファンでなくとも興奮する。

 9:36定時にMartignyに到着して乗換。ここからはイタリアに抜ける標準軌の幹線鉄道になるので列車速度も高くなる。沿線には、観光地でない所でも、素晴らしい景色が続く。Vispに着いてツェルマット行きに乗り換え(写真21)。これはまた狭軌のローカル列車であるが、ツェルマットまで34kmで約1000m登らなければならないので、部分的にアブト式の鉄道になっている。沿線には4000m級の山も聳えているので景色も良い。

      写真21 Vispからツェルマットに向かう電車

 ツェルマット11:55着。駅前の様子は各ロッジのテラスが花で飾られ美しい(写真22)。駅前から延びる銀座通りを5~6分進んだ所のお菓子屋さんでホテルの名前を示して聞いたら、既に行き過ぎていたようで地図を書いて教えてくれたが、道の曲がり方を線で示しただけの地図なので、「各コーナーのランドマークは」と聞いたが、「なんでそんなこと聞くの」と言う感じで、全然、答にならない教え方だった。女性にはときどきこういうタイプの人がいる。地図の概念が全くないのであろう。

           写真22 ツェルマット駅前 

 その後も2回ほど聞きながら裏通りのホテルアルファについた。受付のおばさんが気さくな人で、日本人の英語を聞きなれているらしく当方のまずい英語でも非常によく理解してくれた。事前のメールのやり取りでマッターホルンが見える部屋を予約していたのでどんな部屋か非常に関心があったが、部屋は4階の南向きのツインの部屋で、テラスからはもちろん、室内からもマッターホルンが良く見える(写真23)。これなら朝寒くても室内からモルゲンロートが見られると大満足。ホテルはバックパッカー相手のホテルのようで、シャワールームとトイレは共用。

     写真23 ホテルの部屋から見たマッターホルン

 荷物を置いて早速、クラインマッターホルンのロープウエイに乗りに出かけた。ホテルを出て川沿いに15分ほど登るとロープウエイ駅だ。クラインマッターホルンまでのロープウエイは3段に分かれていて、第1段は小さなゴンドラ、第2段と第3段は50人乗りぐらいの大型のゴンドラだ。第2段のところで右に別ルートのロープウエイが分かれているが、それも同じ切符で乗れるとのこと。

 まず第1段のゴンドラに乗る。初っ端からいい景色だ。第2段では枝分かれしているのでゴンドラを乗り間違えないよう、乗り込んだゴンドラにいた日本人団体客のおばさんに「これはクラインマッターホルンに行くロープウエイですか」と聞いてみたら、「さあ」と首をかしげて、ツアーの添乗員に「これはクラインマッターホルンにゆくロープウエイですか」と聞いていた。パックツアーに参加すると添乗員にお任せなので今自分がどこにいるのか全く関心がないのだろう。これで旅行したことになるのかね。

 さらに乗り換えて第3段のロープウエイに乗るとこんなに急である(写真25)。とうとう、クラインマッターホルンの頂上駅に着いた。各段を登るにしたがってマッターホルンの形が変わってくるのも面白い。イタリア側に近づくほど形が悪くなってくる。

         写真25 第3のロープウエイの勾配

 頂上駅から長いトンネルを抜けたら、山上にスキー場があった。傾斜も緩やかなので子供達でにぎわっていた(写真26)。

           写真26 山上のスキー場

 展望台に行きたいのだがルートが分からない。レストランの方に入ったら、有料のバーが設置された入口があるので、これが展望台に行く道かと思って、レストランの店員に10CHF(スイスフラン)を細かくしてもらって、2CHFを払って入ったらトイレだった。とんだお笑い話だ。

 店員に展望台へのルートを聞いたら、「長いトンネルを戻れ」という。戻って行ったらロープウエイ乗り場との中間ぐらいにパノラマプラットフォームという表示があり、横穴に入るようになっていた。行ってみたらその終点からエレベーターで展望台に上がるようになっていた。展望台に出てみるとマッターホルンはこんな形になっている(写真27)。

 写真27 クラインマッターホルン展望台から見たマッターホルンの形

 明日行くゴルナグラート方面を見下ろすと(写真28)の通りである。黄色い線はハイキングを予定しているルートである。東の方の稜線の続きを見るとブライトホルンやモンテローザが連なっている(写真29)。

       写真28 明日ハイキングする予定のゴルナグラート尾根(黄線がコース)

     写真29 東に連なるブライトホルンとモンテローザ

 名残惜しいが下りのゴンドラに乗るため乗車ホームまでの長いトンネルを歩いて行ったら、来る時は気がつかなかった映像コーナーがあった。いろいろなテーマについて、なかなか迫力のある映像を流していたのでもっと見たかったが時間がないので途中で出てきた。

 帰りは乗り継ぎ場ごとに外に出て景色を見た。第3段の駅を出たところから下を見下ろすとツェルマットの全景が広がっている(写真30)。見上げるとクラインマッターホルンが小さなトンガリ帽子のように突き出ている(写真31)。なるほど、クライン(小さな)マッターホルンに見える。ツェルマットには17:00ごろ着いた。ホテルに行く前に夕食を済ますため町中を歩いていたら、古い木造の納屋が残っていた。その土台を見たら、鼠返しのため、平らで大きな石が入っている(写真32)。これも生活の知恵だ。

           写真30 ツェルマット全景

 写真31 中央の尖塔がクラインマッターホルン(ロープウエイの頂上)

写真32 木造の古い納屋(平らな石を入れて鼠が登れないようにしている)

 夕食は和食レストランがあると聞いていたのでその場所に行ったら、「妙高」という名のレストランがあったが、すでに廃業してしまっていた。しかたないので「華園」という中華料理屋に入った。今夜もメニューにはなかったが青椒肉絲を頼んだ。スープもビールも漢字で書き出してウエイトレスに渡したら別に苦情も言わず持って行った。料理人は中国人なのだろう。シャモニーの店より旨かった。

食べ終わって料金を聞いたら、CHF(スイスフラン)とユーロの両方を書いたレシートを持ってきた。料金は50.15CHF又は41.3ユーロとなっていた。たまたま掴んだ50と書いた札がユーロとは気がつかず50CHFと思って出したら、他の端数を出す前にウエイトレスが持って行ってしまった。こんな端数は負けてくれるのかと善意に解釈して店を出てしまったら、店員が追いかけてきてお釣りを渡そうとする。「50CHFしか払っていないのでお釣りはない」と言ったら、サンキューと言って引き上げて行った。そこで50ユーロ札を出したことに気がついた。

 夜遅くなって部屋の窓からマッターホルンを見上げたら中腹に明かりが点滅していた。間もなくヘリコプターが飛んで行ってしばらくホバリングしいるようだったが、直にツェルマットの方に戻ってきた。何か遭難事故でもあったのかも知れない。月夜がきれいだった。


●第五日目(晴れ)
   ここに登山偏「マッターホルンを眺める山道」が入る。


第六日目(曇り)
 ツェルマット7:52発の氷河急行(Glacier Express)に乗った。指定席は窓側だった。この時期になるとこの看板列車も空いているらしく、1ボックスを占有できた。今日はあいにく曇っているが、今日の行程はツェルマット→クール→ルツェルンと列車の旅だけなので、あまり気にならない。

 この氷河急行は乗り換えなしでクール(Chur)まで行ける。途中の山岳風景が売り物の列車だが、本当は、Oberward~Andermatt間は登山鉄道に乗ってローヌ氷河を見なければ意味がない。直通列車はその区間をトンネルでぬけてしまう。今回は日数が足りないので列車で通過することで我慢。

 ツェルマットからVispまでの間はところどころアブト式の区間がある。その区間に入ると歯車がかみ合うコトコトコトという音が響いてくるので分かる。アブト区間の最急勾配は130だった。VispからBrigまでの間は標準軌の鉄道と狭軌の鉄道が並走している面白い区間だ。

 Andermattからは急勾配が続く。その急勾配を誇張したワイングラスが氷河急行の名物である。ビュッフェカーに行って傾いたワイングラスでワインを飲む(写真33)。ワイングラスをこのくらい傾けてちょうど良いほど、傾斜が急だと言いたいのである。この急勾配を登って行く途中でAndermattの町と機関区を見下ろせるところがある(写真34)。ここは東西南北の鉄道が交わる交通の要所でもある。この山越えが終わると、ローヌ川の流域からライン川の流域に入る。氷河急行の車両は天井にも窓が付いていて、イスに座ったまま、高い山を見上げることができる(写真35)。

        写真33 氷河急行名物の傾いたグラス

      写真34 交通の要衝:アンデルマットの機関区

       写真35 氷河急行の車両は天井にも窓がある

 車内の見どころ案内は、ドイツ語・英語・中国語・日本語・韓国語で放送されるので有難い。それだけ日本人が多く乗るのだろう。その案内放送でいうところの白い岩壁が屹立するライン渓谷がしばらく続き(写真36)、直にクールに着いた。

          写真36 ライン渓谷の白い岩

 クールで40分ほど待ち合わせ、列車を2本乗り継いで、16:25ルツェルン着。大きなターミナル駅だ。駅から出た所がルツェルン湖の流出口で、長い橋がかかっている(写真37)。案外景色のよい所だ。

          写真37 ルツェルン駅前の大橋

 ホテルに行く前にお城のある高台の公園に寄って行こうと橋を渡って、グーグルアースの衛星写真を頼りに歩いて行ったが、全然それらしい所に到達しない。複雑に曲がっている道を歩いて行ったら、だんだんと住宅地に入ってしまい、自分がどこにいるか分からなくなってしまった。通りかかったおばさんが「どこに行きたいのですか」と親切に声をかけてくれたが、「城跡はこの辺には無い」とのこと。もっとしっかり案内書を読んでくるべきだった。「あやふやな知識で知らない町を歩くとえらい目に会う」と、すでに何度も経験した鉄則を思い出して後悔したが後の祭り。

 しばらく進んだ所で通行人に、グーグルアースの衛星写真を示して、「ここはどの辺になるか」と聞いたら、「この写真より北側にあたる」と、写真からはみ出した部分を指差したのには驚いた。しかたないので、駅に行く道を聞いて小走りでかけ出した。ルツェルン駅前の大きな橋に着いたら17:52になっていた。1時間半も迷っていたことになる。

 今日の宿(ホテルアルファ)に着いた。指定された部屋は3Fの角部屋で、二方向に窓がある明るい大きな部屋だった。シャワーを浴びてから、もう暗くなっていたがルツェルンの観光案内書をもらって、旧城壁、流出堰橋、旧市街を歩いた。旧城壁はすでに入場時間が終わっていた。流出堰橋は木造で、その袂に堰の水門を開閉する機械室があった。木造の橋には絵が書いてあるのが珍しかった(写真38)。折から満月で、川端の明かりと相まって美しかった。

写真38 ルツェルン:(左)満月に照らされた川     (右)その川にかかる橋には絵が描いてある

 次に旧市街を歩いて、旧市街の一角にあるバーでビールを飲んだ。ビールはハイネケンを頼んだら、瓶で出てきてコップがついていない。瓶ごと飲むのがルールらしい。みな珍しそうな顔をして当方を見ていたが誰も話しかけてこない。この辺が開発途上国と違うところだ。つまみにピーナッツを頼んだら、二合瓶ぐらいのガラスの瓶にピーナッツをいっぱいつめて出て来たのには驚いた。相当な量だ。

 最後に夕食を食べに、案内書に出ていたビストロ「メコン」に行った。入って見たらかなり大きな暗い店で、食べるより飲むのが主流と言う感じの店だった。メニューを見ると、特にどの国の料理が売り物ということではなく、タイ・カンボジア・ベトナム・インドネシアなどの料理名が並んでいた。

 タイの米ビーフンの料理を頼んだ。壁には日本酒も並んでいた。一斗樽ならぬ一升樽がたくさん並んでいた。あまり聞いたことのない銘柄だった。米ビーフンを炒めた料理はうまかった。ボリュームはやや多めだったが食べきれる量だった。満足して店を出て真っすぐホテルに戻った。

第七日目前半(曇り)
 ルツェルン8:05発の列車でインターラーケンへ。どちら側の座席に座ったらよいか判断に迷った。列車に乗ると窓のテーブルに地図が書いてある(写真39)。前半は進行右側が景色が良いが、後半は左側である。しかし、中間でスイッチバックして進行方向が変わるので、右側に座るのがベストと読み取った。

        写真39 窓テーブルに描かれた路線図

 途中で高い峠越えがあり、列車があえぎあえぎ登って行った。その峠の下りもかなりの急こう配で、窓のテーブルに置いたカメラが滑りだしてしまうほどだった。その先でスイッチバック駅があり、左側にインターラーケン湖を見ながら、湖畔のブリエンツに着いた。

 駅前に明日乗る予定のロートホルン登山鉄道の駅が見える。この登山鉄道はSLが海抜588mから2241mまで押し上げるので有名な登山鉄道である。左側に美しい湖を見ながら、インターラーケンオストには9:55に着いた。ここでアイガー北壁の麓にあるグリンデンバルドに向かう鉄道に乗り換える。


 ●第七日目後半~第八日目前半 ここに旅行偏「アイガー北壁を見る山荘」が入る。


第八日目後半(曇り)

 ユングフラウヨッホを見た後、インターラーケンに下った。そこからブリエンツ駅まで戻り、SL登山列車に乗ろうと思ったが、ユングフラウヨッホの登山電車が一本遅れたため、SL列車に間に合わなかった。しかたないので下ってきたSL列車の写真だけ撮った(写真40)。

        写真40 ロートホルンのSL登山電車

 ブリエンツ駅でシュピーツに行く列車を待っていたら、ものすごい轟音とともに、複数の戦闘機が超低空でインターラーケン湖の上を飛んで行った。数分も経たないうちに、次の戦闘機群が同じように飛行して行った。隣にいた地元の人に、「すごい騒音だが、毎日、このような訓練をしているのか」と聞いたら、苦笑いしながら「近くにスイス空軍の飛行場があるのでしかたない」と言っていた。永世中立で非同盟のスイスなので、国民も、自国防衛のために必要なら腹を立てないらしい。

 16:05にブリエンツを発ち、途中で一回乗り換えて、今日の泊まり場所シュピーツには16:50に着いた。駅は高みにありトゥーン湖が見下ろせる(写真41-1左)。駅は斜面に建っているので、ホームから地下道に降りるとそのままトンネルで駅の外に出てしまう。今日のホテルはトゥーン湖畔にあり、部屋も湖が見える側を予約しておいたので眺めも良い(写真41-1右)。湖を囲む南側の山々は急峻だ(写真41-2)。住宅地の中の小さな広場も家畜の放牧に使われていた(写真41-3)。羊とも違うようだが、みな首からカウベルをぶら下げている。

 夜になると折からの満月で美しい眺めだった。この辺はドイツ語圏らしく、ホテルで英語が思うように通じないので苦労した。

 写真41-1左 駅から見下ろすトゥーン湖      写真41-1右 湖畔のホテル

       写真41-2  湖を囲む南側の山

     写真41-3  住宅地の中の小さな広場で放牧されている家畜(羊ではないようだ)

第九日目(晴れのち曇り)
 9:24の列車でシュピーツを発ち、ベルンには9:53に着いた。ベルンはWebに出ていた見物ルートに沿って旧市街を見物する。まず時計台と彫刻通りを見た。

 まず目につくのがベルン名物のアーケードである。すべてのビルが道路側に誰でも自由に歩ける通路を設けているので、雨でもぬれずにショッピングできる。旧市街(写真42)の時計塔や彫刻を見ながら歩いてゆくと右側にアインシュタインが住んでいた部屋があった。ここは入場料5CHFを払って見学する。学者だけあって展示内容は地味である。スイスでは特許庁の審査官をしていたらしい。

写真42 ベルンの旧市街の街並み:各ビルの一階に自由通路も見える

 その付近の土産物屋で何点かスイス土産を買った。ユングフラウ山群の各峰々の形をノコギリの歯に置き換えたパン切包丁が面白かったので買った。カウベルは一つ一つ音色が違うと聞いていたので、それぞれ振って音色を聞きながら選んだ。

 そのまま旧市街の通りを突き抜けると熊公園前の橋でアーレ川を渡る。熊公園広場のサークルの中に一匹だけ熊がいた。有名な割にはなんともあっけない。ベルンには昔、熊がたくさん出没したそうで、ベルンの名前はシンボルでもある熊(ベアレン)に由来しているとのこと。熊公園前の橋から下流側を見ると住宅と川の流れが調和して美しい(写真43)。

       写真43 熊公園前の橋から下流側を望む

 帰りは大聖堂前の道を駅に戻る。道路の真ん中に水が湧き出している。手を入れてみたら冷たい。さすがアルプスの国だ。大聖堂の前に芝生が青々とした公園がある。その公園からアーレ川の堰が見下ろせる(写真44)。手前の民家もずっと一続きの屋根になっており珍しい。その後は真っすぐベルン駅に向かった。

    写真44 大聖堂前の公園からアーレ川の堰堤を見下ろす

 

 ここからはパリに帰るだけ。13:04のICEでバーゼルへ。バーゼルには13:59に着いた。駅の外に出てみたら、バーゼル駅は堂々たる建物(写真45)で、フランクフルト駅に似ている。駅前は市電の線路が複雑に弧を描いていた。

           写真45 バーゼル駅正面

 バーゼルからは14:34発のTGV(写真46)でパリ・リヨン駅へ。このTGVがどのルートを走るのか興味があったので車内に表示される途中駅をしっかり見ていたら、停車駅はMulhausとDijonだけだった。

      写真46 SNCFのTGV(バーゼル発パリ行き)

 車内には列車速度も表示されるので見ていた。Mulhaus~Dision間のTGV専用線区間では最高319km/hまで出した。17:45にパリ・リヨン駅に着き、地下鉄とRERでパリ・ドゴール空港に向かった。

トップページに戻る場合は、下の「トップページ」をクリック