1966年の石鎚山(S41年)

四国の最高峰石鎚山には大学院1年の夏(1966年)に、四国の別子銅山の坑内実習をしたついでに、四国カルストのケイビングを兼ねて行った。当時の写真から思い出せる範囲で、2020年に稿を起こしたものである。この山行で一番記憶に残っているのは、石鎚山頂で、上半身裸になって長時間過ごしたので、背中の日焼けがひどく、宿に帰ってから風呂に入ったら、背中全体が焼け付くように痛くて、とうとう風呂に入れなかったことである。

新居浜から列車で松山、松山からバスで面河渓に入り、宿についた。その日は面河渓の見物にあてた、翌日宿で弁当を作ってもらい、ほぼ空身で石鎚山登山道を走るように登った。面河山まではかなり急な登りだ。そのうち、尾根の上に石鎚山の岩場が見えてきた(写真1)。

写真1(石鎚山が尾根の上に見えてきた)

山腹が一面の熊笹に包まれ、右に大きくカーブしながら弥山に近づいてゆく。まだ登っている人の方が圧倒的に多いが(写真2)、弥山近くなったら下ってくる人も多くなった。下ってきた人にコースを聞いたら、「鎖場登りをするなら、一旦尾根を乗り越えて、北側に出てから登った方が良い」と教えてくれた。

写真2(熊笹の斜面を上り詰めると弥山(石鎚山頂))

その通り行ったら、頂上に登る垂直に近い岩場を鎖で登るようになっていた。これは面白い。高度差もかなりある(写真3)。頂上について岩峰の上で(写真4)上半身裸になり、弁当をたべたり、昼寝をしたりしながら、3時間ぐらい過ごしたのではなかろうか。これが失敗だった。帰りはザックを背負うと背中がヒリヒリした。

写真3(頂上への鎖場:行場))

写真4(石鎚山頂:左の岩場を鎖で登った)

宿について風呂場で難渋した。お湯を少し入れたほぼ水に近い湯をかぶっただけ。タオルで体をこすることは痛くてとてもできなかった。明日、四国カルストでのケイビングができるだろうか。

 

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