湯の平オフミ

 2002年7月、今年の秘湯に入る会の体育会系オフミが湯ノ平温泉に決まった。ちょうどそのとき新潟に行く用事があったので参加することにした。そのため鉄道で往復することにして、「新発田から誰か拾ってくれないか」と秘湯に入る会の掲示板に出したのだがなかなか「拾う」という人が現れない。実施日直前になって、仙台の会員さんから「OK」のレスポンスがあったのでホッとした。前日の夜行(ムーンライト越後)で新発田に向けて出発した。この列車は昔は急行「佐渡」で上野発だったのだが、今では新宿発の夜行快速列車になっていた。

第一日目(曇)
 5時半ごろ新発田に着いた。仙台さんが来るのは9時ごろとのことなので、駅前で食事をしたり本を読んだりして時間をつぶした。初対面なのでお互いに顔を知らない。それで白いヘルメットをかぶっていることにした。9時近くから駅前でメットをかぶり立っていたが9時を過ぎても仙台さんらしい車がこない。公衆電話から電話を入れたら途中の渋滞で少し遅れるとのこと。名古屋から来る会員さんも同乗するとのこと。

 名古屋さんの顔も知らないのでどの人だかわからない。車が着いたら名古屋さんも出てきたのでやっと分かった。名古屋さんは今朝一番の飛行機で名古屋をたって新潟空港経由で来たそうだ。湯ノ平オフミの集合場所である加冶川ダム奥駐車場は東赤谷から結構の距離があった。大昔、新潟で勤務していたころは、この東赤谷まで新発田から赤谷線が延びていたのだが。10時半ごろ集合場所に着いた。かなり広い駐車場で車の数も多かった。

 全員そろったところで、11時半ごろ出発。加冶川沿いの登山道は岩がゴツゴツしていて歩きづらい。両岸にそびえる山はかなり急だ。道はずっと加治川の右岸をゆく。地図ではたいして標高差もないのだが、結構アップダウンがある。湿った空気と7月の暑さも手伝って汗がダラダラ出てくる。意外にバテた。昨日の夜行の寝不足のせいか。

 右岸の山から何本も沢が流れ込んでいるので、その都度つり橋でわたる。毎年新発田市が夏前にこのつり橋の整備をしているそうだ。途中、北股川がゴルジュとなって合流するところには吊り橋がかかり(写真02)、上流の雪渓から冷気が吹き降ろし、最高に気持良かった(写真04)。

写真02 北股川出合にかかる吊り橋。左側から冷気が吹き下ろしている。

     写真04 雪渓から冷気が流れ出している。

 その雪渓から崩れた雪の塊が水面に浮かんで流れていた。湯ノ平小屋に近くなったら、岩盤の山道になり「危険注意」の立て看板も出ていた。何ヶ所か鎖を張った場所もあるが気をつけていれば特に緊張するところではない。

 かまぼこ型の湯ノ平小屋には13時ごろ到着。小屋は新しく立て替えられた頑丈なものになっていた。その小屋を通り越した先、加冶川の右岸に自然の大岩を利用した露天風呂があった(写真08、10)。風呂の上流の岩壁から湧出し、岩盤を流れて湯船に注がれていた。温度は結構高い。

     写真08 加治川右岸の大岩から湧き出す「湯の平」の湯

           写真10 岩盤を掘り下げた湯船

 その露天風呂脇の河原の近くで昼飯の用意を始めた。ガスバーナーと餅を出して広げたところで、「先に女性軍が入るので男性はもっと下流に遠慮すること」というお触れが出た。しかたないので荷物をまとめ下流に移動。陽気は暑いが、醤油をつけて海苔で巻くと熱い餅もうまかった。次に男性軍も入浴して、14時半ごろ帰路に着いた。

 途中から大粒の雨が降ってきたので雨具(ポンチョとズボン)を着た。じきにものすごい土砂降りになった。どこかの老夫婦が木の下で雨宿りをしていた。この土砂降りでは木の下でもびしょぬれだった。ザックの中に雨合羽と折りたたみ傘がまだ残っているのでそれを貸してあげた。

 とにかくすごい土砂降りでまるで滝の中を歩いているようだ。雷も鳴り出した。至るところで濁流が登山道を横切っている。小さな沢も水かさを増した濁流が音を立てて流れている。雨具を着ていてもいつの間にか体がグッショリ。おかげで涼しくなったころ駐車場に着き、雨も小降りになった。

 雨具を始末していたら老夫婦も到着した。雨具を丁寧にたたんでいるのでそのままで結構ですよといって受け取った。そこからは参加者の車に分乗して、今日の宿である麒麟山の松仙閣に向かった。当方は北海道から来た会員さんの車に乗せてもらった。駐車場から下の林道でも結構水が押し出していた。山から押し流された流木や岩石が乱雑に散らばっているところでは、車を降りて片付けなければ通れなかった。

 松仙閣は昭和初期に立てられたという地上3階地下1階の木造4階建の宿。いかにも和風旅館という趣があった。宿の前は麒麟山の大岩壁、後ろは阿賀野川で絶景の地。ぐしょぐしょの登山靴と雨具を干してから早速風呂へ。阿賀野川に面した露天風呂に大挙して入る。すでに温泉の話で盛り上がっていた。湯はぬるめだった。阿賀野川も連日の雨で増水し、夕霧に包まれていた(写真12)。

          写真12 夕霧に包まれた阿賀野川

 18時から夜の宴会。隣は当方と同年代のご夫妻。参加者名簿を見ると当方が最高齢らしい。みんな良く話し、良く飲んで22時ごろまで続いた。今回初参加の人が槍玉に上がっていろいろ質問攻め・酒攻めにあっている。当方が洞窟温泉を探していると言ったら、北海道さんが「北海道のピリカ鍾乳洞温泉」に行ったことがあるかと聞いてきた。まだないので何か資料があったら送ってくれと頼んだ。

第二日目(晴れ)
 当方は朝食を早めに取って8時には出発し、麒麟山に向かった。麒麟山の大岩壁の下の自動車道路を進むとかなり長いトンネルがあった。そのトンネルを抜けたところが登山口だった。案内の看板を見ると昔は津川城という山城があったようだ。土塁・空堀・郭跡などの遺構を見ながら登る。

 途中で近所の人が散歩に連れてきたレトリバーがじゃれて飛びついてきた。さすが大型犬だけあってこらえきれず草むらに尻餅をついてしまった。遠くから見るとまるで犬が人間を押し倒したように見えたのだろう。飼い主が飛んで来て平謝りに謝ること謝ること。当方も犬を飼っているので怖いという感じはなかった。

 20分で「津川城址」の石碑が立つ展望台に着いた。この高台は浅い空堀で尾根から仕切られていた。当時はこの程度のもので城になったのかね。ここからは津川の町と阿賀野川が見える。でも津川の町は樹木にさえぎられてあまり良く見えない。白狐を祭ったお稲荷さんの前を過ぎると、いよいよ岩稜の縦走コースが始まる(地図14)。

    地図14 麒麟山温泉と麒麟山の地図(赤い線が歩いたルート)

 岩稜に出る前に「危険」の看板が建っている。津川側(南側)は切り立った岩壁で町が一望できる。阿賀野川側(北側)は樹林帯の斜面がありその下で絶壁になっている。麒麟山温泉は足元過ぎて見えない。ゆったり流れる阿賀野川が大きく蛇行している。遠くの山もかなり広範囲に見えるのだが名前が分からない。

 ルートは津川側の絶壁の縁なので比高は高々150mだがかなりの高度感がある。所々鎖を使う場所もあった。快晴の日差しが暑い。ピークを過ぎ松坂峠への下りにかかると、砂で滑りやすいかなりの急斜面になった。手がかりが少ないので少々やばい。そこを無事通過して松坂峠には10時ごろ着いた。

 人がほとんど通らないせいか夏草が生え、それが濡れている。快晴にもかかわらず雨具のズボンをはいて下ることにした。山腹をだらだら下るとすぐに登山口に着いた。登ったときはトンネルの西側の登山口だったが、降りたところはトンネルの東側だった。

 全身汗みどろだったので、駐車場にある茶店に入ってカキ氷を続けて2杯食べた。それでも汗が引っ込まない。近くに津川町の水泳場があるというので海水パンツだけ持って出かけた。すぐ脇を流れる常浪川が町指定の水泳場になっていて(地図14の赤丸印)、小学生が歓声を上げながら遊んでいた。

 早速近くの林の中で着替えて水に入る。冷たい川水が火照った体に心地よい。川水はやや濁っていたが底まで見え、深さは深いところでも大人のヘソぐらい。上流に向かって泳いでも流速と同じなのかちっとも進まないが、下りは速い。適当に楽しんでから茶店に戻りタクシーを呼んでもらって津川駅に向かった。

 津川の町は城下町の名残で道筋が鍵の手になっていた。津川を12時半ごろの列車で新潟に向かい、知り合いの出版記念会に出席してから帰京した。

 

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