札幌勤務中の1968年、秋、二泊三日でニペソツ山に登った(単独行)。その時の写真を見ながら、当時を思い出しつつ、2020年に本稿を書いた。ニペソツ山は2013mで、北海道では数少ない2000m峰の一つであり、麓の温泉から日帰りできる。この山は登ってみると初めて分かるが、アルペン的な山容で、なかなか存在感のある山である。深田久弥の日本100名山に何で入っていないのか首をかしげる。だから深田久弥の選んだ100名山は信用できないので、追いかけるのをやめた。
この山の麓には幌加(ホロカ)温泉という素朴な湯治場がある。老舗の「幌加荘」は、ひなびた温泉場には珍しく空色の洋館風で(写真2)、独特な風情を醸し出していたが、残念ながら数年前に廃業してしまった。長年かけて湯船の流しに析出した、あのゴージャスな石灰華のある風呂は残っていると思うので、誰か、あれを生かして是非再開してもらいたいものである。
写真2(幌加荘)
話を登山に戻そう。札幌を朝発って特急で帯広へ。帯広からは当時まだ走っていた士幌線で、終点の手前の駅「幌加」で下車。この士幌線は大雪山系の森林資源の搬出を目的に作られた線なので、旅客列車より貨物列車の方が多かった。駅から歩いて1時間かからずに幌加荘に着いた。
翌日は宿で弁当を作ってもらい6時ごろ出発した。5万地図で読むと片道12kmぐらいある。その頃は、あまりヒグマとの遭遇は問題になっていなかった。でも北海道の馬橇の鈴をつけて登った。初めのうちは比較的なだらかな登りだ。周囲が白樺一色の林になり、その隙間からニペソツが見える(写真3)。葉は大部分落ちているが、黄色の葉が太陽を浴びて鮮やかに光っている。
写真3(白樺林の向こうに見えるニペソツ山:古い写真をデジタル化したので、色が赤くなってしまった)
主稜に出る手前はかなり急な斜面になった。林が切れたところからニペソツの全容が見えた。稜線に出ると青空が美しい。山腹には岩壁も増えてきた。東側の山も西側の山もよく見えるのだが、残念ながら名前が分からない。稜線は結構アップダウンがあった。2つ目の鞍部からニペソツの頂上まではかなり登りでがある。その途中で迫力のあるニペソツの写真が撮れた(写真5)。
写真5(アルペン的なニペソツ本峰の勇姿)
ようやく頂上について先行していた登山者にシャッターを押してもらう(写真6)。あのころは髪の毛も豊富で黒かったと感無量である。頂上で弁当を食べたり、横になったりして、たっぷり時間を潰し、いよいよ下山にかかった。主稜の間はかなり岩場もあるのであまり飛ばせない。主稜を外れて比較的なだらかな尾根になってからは半分駆け下った。
写真6(頂上にて)
幌加荘には16時頃戻ったと思う。前述の素晴らしい石灰華のある風呂(写真7、8)に入って、まったりしていたら、若い女の子がどやどやと入って来た。当方も相手もビックリしたが、多勢に無勢で女の子が4人ぐらいで流しを使い出した。
写真7(湯船の縁から流しにかけて、見ごとな石灰華が沈着している)
写真8(石灰華の厚さと言い、形の良さと言い、日本一である)
当方は流しに背を向けて湯船に入っていた。女の子同士の会話によると、帯広の小さな会社の秋の旅行会らしい。そのうち温泉の熱さで、当方の体も火照って、汗がだらだら出てくるようになった。とても風呂に入っていられない。前を手ぬぐいで隠して、大急ぎで脱衣場に飛び出した。当時は幌加荘も混浴だったのだろう。2005年に幌加荘を再訪した時は、風呂は男女別になっていた。
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