相模川踏破4

 相模川踏破もいよいよ下流域に入り、広々とした川原をもつ相模川を歩いてゆく。途中には堰が至る所にあり、農業用水や水道用水として水をとられていく。下流に行くにしたがって水の流れは細くなり、寒川堰の下では川原が大部分干上がっている。なんとも空恐ろしい相模川の現状に驚いた。

 相模川踏破を始める前にGoogleEarthで城山ダムの下を見たら、川原が大部分干上がり、歩いて相模川を渡れそうなところがあった。撮影年月日を見たら3月となっていたので、冬の渇水期で干上がっているのだろうと思い込み、3月に歩くことにした。まず城山ダム(写真444)が見える展望台に行く。

    写真444 展望台から見た城山ダムの堰堤

 城山高校の外側を回り、川原に降りてゆく自動車道を進む。途中からガレ場を下って川原に降りてみたらGoogleEarthのとおり、川原は白い玉石で一杯である。圏央道の橋の真下まで移動したら、石伝いで相模川本流を飛び越せるほど狭いところがあった(写真504:左)。やはり冬に来て正解だったとそのときは思ったのだが、少し下流に歩いたところで⑪津久井発電所(写真504:右)を発見した。そうか、「城山ダムと津久井発電所の間は水が導水管を通っているので、城山ダムの下は一年中川原が出ていることが分かった。

写真504 城山ダム下の干上がった川原           県営:⑪津久井発電所

 その下流には圏央道へ出入りするため作った新小倉橋と元からあった小倉橋が親子のように並んでいる(写真508)。この小倉橋の右手(相模川の左岸)から横浜水道のトロッコ道が続いている。水道の導水管工事のためトロッコを敷いたのでこの名前がついているとのこと。

   写真508 後ろが新小倉橋、手前が小倉橋

 小倉橋から下流は広い川原の中を、相模川が右に寄ったり左に寄ったりしながら流れているので、できるだけ川に近いところを歩くのが難しい。今日は相模川の右岸を歩くことにした。道路脇に砂利を精製している工場がある。相模川では砂利採取はとっくに禁止されているはず。どこから採ってきた砂利なのだろう。川砂利に比べて非常に小粒である。真下に払い出し口があるらしく、頂上の噴火口が二重になっていた(写真510)。

写真510 小倉橋近くの砂利工場の砂利の山       高田橋近くのへらぶな釣り場

 それから1時間半ほど下流の川原の入江は、有料のへらぶな釣り場になっていて、太公望がずらっと並んでいた。ヘラブナ釣り場はこれから下ってゆく相模川には至る所にあった。

 25000の地図を見れば分かる通り、川原の洲の形は複雑怪奇に変化するので、できるだけ川に近いところを歩こうとすると、行き止まりの洲に踏み込んでしまい、長い距離を戻ってこなければならないことも度々ある。

 高田橋近くなってから「危ない入るな」と書かれた工事中の堰に入って行って(写真516)、魚道を見た後、堰の中央付近の写真を撮った。この堰に寄るため自動車道路から離れたので、道路に戻るため近くの崖を薮漕ぎして戻った。歩道のない側の山林から人が出てきたのだから運転手はビックリしたろう。

写真516 「危ない入るな」と書かれた魚道           堰の中央部付近の流れ

 やっと、小倉橋の下流では最初の橋となる高田橋が現れた(写真518)。ここから下流もできるだけ川沿いを歩きたいので川原の中を進む。このあたりになると川原に芦も密生するようになってきた(写真520)。このような芦原の中に釣り人のトレールが縦横についているので、道があると思って進むと川に出てしまい進めなくなる。釣り人は川に出るのが目的なのでこれでもいいのだろうが、当方のように川に沿って歩きたい者にとっては、はなはだ迷惑なトレールだ。そうかと思えば、芦原のトレールと堤防の間にいつのまにか水が入り込んでいて、堤防に戻れない所もある(写真520)。

      写真518 やっと高田橋が見えた

写真520  芦がビッシリ生えた川原           芦原と堤防の間に入り込んだ水面

 芦原のトレールを進んでいたらいつの間にかトレールが消えてしまい、薮漕ぎで堤防まで戻ることもある。50m先に堤防が見えるのだが胸まで届く茨をかき分けて堤防にたどり着くまで15分もかかったこともある(写真526)。

写真526 芦原にはトレールが付いていたが      いつの間にか消えてしまい薮漕ぎとなる

 やっと本日の行程の最終目標の昭和橋についた。橋が2本あり、左側は自動車専用、右側が歩行者用になっていた。元は、橋が一本だけだったが交通量が増えたので、自動車専用の橋を増設したのだろう(写真526)。昭和橋の上から下流側を見ると水の流れている幅が広くなった(写真532)。

  写真526 昭和橋は自動車用と歩行者用の2本だて

     写真532 昭和橋から下流の水面幅

 昭和橋を渡って左岸に出て、しばらく堤防を歩き、三段の滝公園という素晴らしい名前の公園から堤防に登り、JR相模線の下溝駅から電車に乗って帰った。

 

 今回で相模川踏破も6回目だ。今日は下溝から河口まで歩いて打ち上げとすべく、下溝駅を7時には歩き始めた。まず三段の滝公園まで行く(写真602)。公園と言っても広い河川敷を公園にしたもの。前方には丹沢の稜線が見えて眺めが良い。残念ながら富士山は雲に隠れていた。地元の人に「なんで三段の滝公園」というのか聞いたら、ここで相模川にそそぐ小河川に三つの滝があったからだとのこと。今ではそれぞれ人工的なコンクリートの堰堤になってしまい滝ではなくなったようだ。今日は左岸の堤防を進む。

       写真602 三段の滝公園

 その先に磯部取水堰があり農業用水を取っていた(写真604)。取水堰には階段の踊り場のように折れ曲がった魚道が付いていた(写真606)。珍しい構造だ。それほど落差が大きいのだろう。

           写真604 磯部取水堰

    写真606 階段のように折れ曲がった魚道

 その下流の川原はテレビでも報道される「相模川大凧揚げ」の会場で、竹の幹そのままで組み上げた大凧が何台か置いてあった。まだ紙は貼ってなく、竹の骨組みに反りを与える段階のようだった(写真610)。その付近の堤防は芝桜や色とりどりの花で一杯だった。

写真610   大会本部のテント                 凧の骨組みと反り

 今日は川原の洲が複雑で2回ほど大きく戻る羽目になった。一回目は、座架依(ざかえ)橋を潜ると堤防が川から離れてしまうところがあった。川に近い洲を進んだら行き止まり、戻って堤防を進む。二回目はR246の新相模大橋を潜ってから川辺に近い洲を進んだら、横須賀水道橋の付近で洲が終わってしまい堤防に渡れない。また戻って堤防沿いを進んだ。

 その先で圏央道も相模川の左岸に引っ越してきた。直に三川公園という名の公園に入った。ここでカメラを抱えて何か被写体を狙っている人に聞いたら、中津川と小鮎川が相模川に合流する所なので三川公園というのだそうだ。「これから河口まで歩く、川のどちら側を歩いたら良いか」と聞いたら、「右岸がいい」と即座に返事が返ってきた。いつもカメラを持って相模川を歩いているのだろう。

 下の写真に写っている「あゆみ橋」で右岸に移った。あとは確実に川辺に沿って歩けそうだというところを除き、基本的に堤防上を歩いてゆくことにした。

写真616 この橋(あゆみ橋)で相模川の右岸にわたる:背景は本厚木のビル群

      写真618 小田急橋梁の下を通り

 相模大堰に到達する少し手前で、東名高速の相模川橋梁の下を潜ったが、細い橋・太い橋・細い橋の3本から構成されていた。これは、最初に太い橋(上下2車線ずつ)の橋を作ったが、そのうち交通量が増えたので、上下に2車線ずつの橋を増設したのだろう。

     写真622 相模大堰を横に見て

      写真624 横須賀水道の水道橋

      写真626 堤防は桜が満開

 昼飯時になったので新幹線が見える堤防で食べた。食べていたら野良猫が6匹も集まってきてしまい往生した(写真630)。

写真630    新幹線橋梁                野良猫が6匹も出てきた

   写真632 新幹線橋梁と堤防との高さの差

 堤防と新幹線橋梁との隙間はこんなに狭い(632)。これではテロ対策上問題だ。

 そのすぐ下流に寒川取水堰があり(写真634)、大量の水を取っているらしく、寒川堰の下の川原はほとんど干上がっていた(写真636)。この付近に田村の渡しがあったという碑が建っていた。

       写真634 寒川取水堰

 写真636 寒川取水堰下の川原は干上がっていた

 銀河橋という名前だけかっこいい橋を潜ると、いよいよ国道一号も近くなり、馬入の渡しの碑も建っている(写真638)。R1 の橋(写真648)、JR東海道線の橋(写真650)を立て続けに潜る。

 

                写真638 馬入川の「馬入の渡」の説明阪と碑

 

     写真648 国道一号(R1)の橋

       写真650 東海道線の鉄橋

 相模川の河口まであと1.6kmだ。堤防を歩いてゆくと昔の平塚漁港が堤防を掘りこんだ形で残っている(写真652)。周りには高いコンクリートの壁を作ってある。津波対策だろう。

       写真652 旧平塚漁港

その先はいよいよ相模川河口の橋(写真654)となる。

    写真654 これが河口に一番近い橋

 いよいよ河口に到着。河口には一列に杭が打ち込まれ、その反対側には砂嘴が張りだしていて意外に狭い。これは相模川から水を取りすぎて水流が弱まり河口の砂嘴を流せないからだろう(写真656)。

     写真656 相模川の河口はすごく狭い

 とうとう相模川踏破も終わった。途中、農家の方から「何のために歩いているのか」と聞かれたこともあった。「水文調査です」と答えたが、相手は「水門調査」と受け取っただろう。当方も歩き始める前は、ただ単に、相模川を全部歩いてみたいという、歩くことだけが目的だったが、川から水が用水路に大量に流れ込んでゆくのを見ていたら、どのように利用されているのかを追跡してみたくなったから不思議だ。

 

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