相模川踏破3

相模川の中流域(上野原~津久井湖)のルポである。

 上野原駅南方の桂川橋から歩き始める。道は小高い丘に登ってから山梨・神奈川県境の境川の谷に向けてイロハ坂で降りてゆく。その降り口には甲州街道の関所(諏訪の関:実際は番所程度のものだったらしい)の碑が建っていた(写真402)。

   写真402 甲州街道の関所「諏訪関」の石碑

 境川橋(写真404)で桂川を渡り、桂川の右岸(南岸)を相模湖へと向かう。R20より交通量が少ないからだ。静かな山里を東に進むと、左へ弁天橋への道が下ってゆく。弁天橋から桂川の下流方向(写真406)を望みながら渡ってゆくと、何かのマラソン大会らしく地元の奥さんが声援に出ていた。

   写真404 神奈川・山梨県境が通る「境川橋」

   写真406 弁天橋より桂川の下流方向を望む

 ここからはまた交通量の多いR20を歩いてゆく。左から流入する沢井川を長い橋で渡ると吉野(地名)に入る。ここは甲州街道の宿場町だったらしく本陣跡の碑が建っている。その対面には「吉野宿ふじや」と書いた昔の宿の建物が残っている(写真408)。

        写真408 吉野宿の旅籠

それを過ぎると勝瀬橋(写真410)に達する。勝瀬橋からは相模湖になる(写真412)。

      写真410 勝瀬橋(ここからが相模湖)

      写真412 勝瀬橋から見た相模湖

 相模湖北岸の急斜面につけられたR20を進む。小さな谷を一つ一つ急カーブで出入りするのでR20の見通しが悪く、おまけに歩道もないので緊張する。最後のカーブは中央高速道を潜る所まで入り込んでいた。そこには中央本線の下り線も走っていて、かまぼこ型の電化柱で架線を支えていた。この形の電化柱は初めて見た(写真414)。

             写真414 中央本線下り線の電化柱

 やがてR20も市街地に入る。左手に何やら由緒ありそうな参道と大きな階段が見える。入ってみたら与瀬神社への参道で(写真416)、この階段は中央高速道を乗り越えるため後から付けたものだとわかった。急な石段を登り与瀬神社(写真416)にお参りしてから、R20に戻った。この参道の奥は、陣馬~景信ハイキングコースの明王峠に続いているのでハイカーが多い。

写真416   与瀬神社の参道                 与瀬神社の拝殿

 R20を避けて住宅地の中の道を通って湖畔の相模湖公園に出た。ピクニックの人出でにぎわっていた。その公園に相模ダム発電所で使われていた発電機が展示されていたので、物差し代わりに人間も入れて撮影した(写真418)。

写真418         相模湖公園              相模ダム発電所で使われていた発電機

 次に相模ダムの堰堤まで行こうと相模湖大橋まで行ったが、ダム堰堤は工事中で立入禁止。相模湖大橋の橋の上にバスの停留所があったのでビックリ(写真420)。今まで74年も生きてきたが、橋の上にバス停があるのは初めて見た。相模ダムの堰堤は大橋の上から眺めただけ(写真422)

     写真420 橋の上にバス停がある

       写真422 相模ダムの堰堤

 相模ダム堰堤の右岸側の脇を通り桂橋へ向かう。木が繁り交通量も少ないのでおだやかな散歩気分で歩ける。しばらく歩いたら「神奈川県立津久井養護学校」という看板があった。これが昨年惨劇のあった養護施設かと改めて見直してしまった。更にせっせと歩くと桂橋が空中に漂っているかのように現れた(写真424)。川面からの高さが高いので、バックの一面の新緑に包まれているからだろう。その桂橋の下流方向の眺めは写真426の通り。

      写真424 桂橋(上流側より望む)

      写真426 桂橋より下流側を望む

 桂橋で左岸側(北側)に渡り、県道515に入る。どういうわけか、まだ奥に人家があるのに、通行止めの立看が出ている。赤馬(あこう)まで入ったらそこにも通行止めの立看がある。地元の人に聞いたら岩崩で通れないとのこと。人なら通れるかと聞いたら、最近通ったことがないからわからないが、通行止めの柵は人が通れるほどの穴が開いているとのこと。何年前から通行止めなのかと聞いたら、20年ぐらい前からだという。そんなに長く通行止めなら地理院地図にも反映してもらいたいものだ。今から迂回すると相当な時間がかかるので、強行突破することにした。

 いよいよ件の通行止めの柵(写真428)についたら、50cm四方ぐらいの升目の柵だった。これなら楽に通れる。升目を潜り抜けて進んだら、まず沼本ダムが見えてきて(写真430)、岩崩がだんだんひどくなり、大岩がほとんど道路を塞いでいるところもあった(写真430)。沼本ダムはこの道に入らなければ見えないので収穫だった。

写真428   通行止めの柵(入口側)            通行止めの柵(出口側)

写真430      沼本ダム        道路を遮る大岩(ガードレールで自動車道路だとわかる)

 この通行止めの途中にも東海道自然歩道に登る道があり、指道標も建っていたのには驚いた。そこには小さな滝もあり休むのに格好の場所だった。滝の水でのどを潤した。横浜水道の昔の取り入れ口(三井取水口)の看板も建っていた。それを見るには薮漕ぎして相模川まで降りなければならないらしいのでやめた。

 そこから直に通行禁止の出口の柵についた(写真428)。地名は久良木というらしい。そこから先は小型車なら通れる舗装道路となり人家もあった。その少し先で名手というところついた。名刹らしい三井寺(みいでら)という名前の寺もあった。本堂はコンクリート造りで、本堂の扉は総ガラス張りだったので中もよく見えた。こういう造りの寺は初めてだ。

 この辺から津久井湖が始まるのだが、手前の平面が邪魔して水面が見えない。しばらく歩いたらようやく津久井湖が見えてきた(写真432)。

    写真432 やっと津久井湖が見えた

 三井(みい)の町並みをせっせと通り過ぎて、津久井湖を渡る三井大橋にたどり着いたら、背景の城山が貫禄十分に聳えている(写真434)。

        写真434 三井大橋と城山

 城山は後北条の時代まで使われていた山城で、頂上には城の遺構も残っているようである。三井大橋から津久井湖の下流側を見ると(写真436)、水面は満水時より下げてある。これから梅雨に入るので貯水量に余裕を持たせてあるのだろう。湖岸のR413を通って城山ダムの堰堤に着いた。

  写真436 三井大橋から津久井湖の下流側を望む

       写真438 城山ダム堰堤

 津久井湖から水をくみ上げて山の上の城山湖(写真440)にため、その水を落として発電している⑩城山発電所もあるのだが、それがどの辺にあるのか分からない。

   写真440 揚水式発電所の⑩城山発電所が揚水する城山湖

 城山ダム堰堤の下流側には横浜水道の太い送水管が設置されている(写真442)。この水は道志川で取水し、ここまでは山の中のトンネルを通ってきている。城山ダム堰堤の下流側の景観は写真444の通りである。

 写真442 城山ダムに取り付けられた横浜水道の送水管

写真444 城山ダムの下流側景観ダムの水門を横切っているのが横浜水道の導水管)

 

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