相模川踏破2

相模川の中流域(大月~上野原)のルポである。

桂川が大月市街の北側を回って岩殿山の下まで来ると、橋から見下ろす桂川の深さは並大抵ではない(写真302)。

   写真302 橋からの深さは50m以上はありそう

 この橋を渡ったところから猿橋に通じる道が下ってゆく。見上げると岩殿山が崩れんばかりに聳えている。反対側を見るとアパートの上に富士山の頂が大きく突き出している。路傍には溶岩流が固まった巨大な露頭が現れている(写真304)。

    写真304 道端にある溶岩流の露頭

 しばらく下ると桂川を橋で渡る。その橋のたもとを滝が流れ落ち、その左に⑥駒橋発電所の水路管が急斜面を下ってきている(写真306)。一幅の絵になっている。

     写真306 ⑥駒橋発電所の水路管

水路管の真下に⑤駒橋発電所があり、昔使われていた発電機が展示されている(写真308)。

           写真308 ⑥駒橋発電所の建物と発電機の展示

 ⑥駒橋発電所で落ちた水は桂川本流に戻されることはなく、逆にここでも新たな取水をして、本流とは別の水路を通って猿橋へと流れてゆく。GoogleEarthの写真を使って示すと写真310のとおりである。堰堤より下流では川原がほとんど干上がっている。ここの水路の最終段階では、広い水門から泡を立てて水を流れ落としている(写真312)。この水門は桂川からの取水が多すぎたときは、再び川に戻す機能を持っているのではないか。

              写真310 ⑥駒橋発電所下の水の流れ

  写真312 猿橋への水路に入る前の水の流れ

 ここから先はR20を歩いて猿橋駅に向かう。猿橋駅南口の前には山の上の造成地に登るマグレータ(磁石で吸い付いて登ってゆくケーブルカーのようなもの)があったのだが、調子が悪くて故障続きだったようで、今では廃止されている。写真314で黄色の線で示したところにあった。この上の団地への足はバスになったようだ。

写真314 黄色の線のところにマグレータがあった

 猿橋までR20(甲州街道)を歩く。交通量も多く、歩道がないところもあるのでかなり緊張する。猿橋入口の看板に導かれて猿橋に到着する。ここの地形をGoogleEarthから借用すると写真316のようになっている。

   写真316 桂川は左から右に向かって流れている。橋から川までの深さは30mぐらいある

写真321     史跡:猿橋                   発電用水路

            写真322 猿橋直下の渓谷美

 桂川を北岸に渡った発電用水は、網がかぶった水路で更に東へ流れる(写真323)。梁川駅付近まで桂川と平行に流れ、ここから先は北東に流れて大野貯水池に入り、大野貯水池の反対側からまた用水トンネルで、コモア四方津の下を流れて、上野原の手前で約100mの落差の八ッ沢発電所を回している。更にその下の低落差の松留発電所を回して、桂川に放流されている。

  写真323 八ッ沢発電所への水路

 さて、忘れていた桂川を追跡しよう。鳥沢駅南方の桂川の大屈曲点の川原まで降りると、中央本線の鉄橋が良く見える。ここも鉄道マニアの撮影ポイントらしく撮影に余念のないマニアがいた(写真324)。ここから鳥沢駅北側のR20まで戻ると、R20沿いには旧甲州街道鳥沢宿の旅籠の建物が何軒か残っている(写真326)。次は桂川を見るために右に曲がり、下畑橋で桂川の写真を撮り(写真328)、またR20に引き返す。このようにR20と相模川を往復することが多いが、桂川の渓谷美も記録することを忘れないようにしよう。

    写真324 鳥沢で桂川を渡る中央本線

        写真326 鳥沢宿の旅籠の建物

   写真328 下畑橋から桂川の上流方向を望む

 R20に引き返し少し歩いたら、鉄道マニアがトンネル入り口で三脚にカメラを据えて列車が来るのを待っていた。何を狙っているのかと聞いたら、「このトンネルは電化以前に作られたトンネルなので天井高さがない。そのため架線が通常より低い位置に貼ってあるので、電車はパンタグラフがほとんど折りたたんだ状態になっている。その写真を狙っているのだ。あと5分ぐらいで下り特急電車が来るのを待っている」とのこと。中央本線のトンネルの架線位置が低いことは知っていたが列車を待つ程、マニアでもないので、その場で写真を撮って先に進む(写真330)。

  写真330 天井高さが低いトンネルの架線の張り方

 梁川駅近くなったら道路わきに「梁川警察官駐在所」と書いた民家風の家が建っていた。なるほどここに警察官一家が住みついて勤務しているので、交番風の造りより、このほうが生活しやすいのだろう(写真332)。

  写真332 民家に事務室がついた形の警察官駐在所

 R20脇にある梁川駅に立ち寄ってから梁川大橋に行き、桂川の写真を撮った(写真334)。

  写真334 梁川大橋から見た桂川

 四方津駅近くなってから名物のエスカレータを見るため、駅から離れた間道に入ったら「上野原デマンドタクシー:537」と書いた札が建っていた(写真340)。デマンドタクシーをwebで調べると、「乗り合いタクシーで、事前に申し込み、乗車場所で待っていると、何人かの客をまとめて運んでくれる」というタクシーのようだ。過疎地域では大層便利な乗り物として定着しているとのこと。R20でバス時刻表を見ると1日に2本しか走っていないところもあるので、貴重な移動手段なのだろう。

写真340 乗り合いタクシーがとまる場所には看板が建っている

 いよいよ四方津の山の上にある団地(コモア四方津)に登るエスカレータが見えてきた。標高差100mというだけあって流石に長い(写真342)。内部に入るとこのように長いエスカレータ2基とインクライン式のエレベータ2基が揃っている(写真344)。エレベータは壁の中なので見えない。頂上に着くとコモア四方津の明るい街並みが続いている(写真345)。

写真342 コモア四方津に登るエスカレータ(手前が四方津駅)

写真344 正面はエスカレータ、エレベータは左右の壁の中

      写真345 コモア四方津の街並み

 この街並みの下を、大野貯水池から出た発電用水路が通っているとは、住民は知らないだろう。もっとも、土かぶりが70mもあるのだから全く影響はないが。しかも水路の方は大正3年に完成しているというのだからコモア四方津よりはるかに先輩である。

 それから先は、歩道がない割には交通量が多いR20をヒヤヒヤしながら歩いてゆく。歩道はないが歩道のエリアを斜線で示したところはまだいい方で、それすらないところも多い。その斜線も頻繁に右に左に移るので、その都度、車の途切れた瞬間を見計らって道路を渡らなければならない。

 歩道スペースがないところではこちらも怖いので、大型車が来ると道端のガードレールにピタリとついて車をやりすごす。多分車を転がしている人も危険を感じているのだろう。大型車の職業ドライバーは手を挙げて感謝の意を表してゆくが、マイカーの運転手はだまって通り過ぎてゆく(写真346)。

写真346 歩道がないので白線とガードレールの間を歩いてゆく

 道路が大きく左に曲がりいよいよ上野原の街並みが見下ろせるところまで来た(写真347)。ここはもう、相模湖の上流部なので流れは穏やかだ。

 写真347 上野原の街が見えてきた(白い橋は桂川橋)

 上野原は河岸段丘地帯なので、上の段丘面にある市街地と、下の川原面にある市街地に分かれている。上野原駅はその中間にあるので、どちらを向いても崖になっている。R20から下の市街地に向けて下ってゆくと、⑦八ッ沢発電所から流れてきた水が最後の水路式発電所である⑧松留発電所を回している(写真348)。

写真348 松留発電所(この発電所を出た水は、すぐ桂川に流れ込む)

 歩き疲れた頃、ようやく桂川橋についた(写真350)。ここから上野原駅まで引き返し、南口に行ったら延々と階段が続いている。河岸段丘の段差に位置する駅なのでしかたあるまい。最後の気力を振り絞って、エスカレータのない、約90段の階段を登った。次回はここから出発して津久井湖まで行ければ御の字だ。

写真350 桂川橋(前方に行くと神奈川県境踏破で歩いた奥牧野に通ずる)

 

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