1964年の日本アルプス表銀座(S39年)

 大学3年の前期と後期の間の休み(1964年10月)に、クラスメイトとアルプスの表銀座~裏銀座の山旅に出かけた。その時の写真でデジタル化しておいたものが数枚残っていたので、それを見ながら記憶をたどって2017年5月に作成した山行記録である。

第1日目(晴れ)
 新宿から夜行で松本、大糸線に乗り換えて有明下車。バスで中房温泉に。そこから急な登山道を燕山荘目指して登る。5泊6日の山行なので荷は重い。当時の山小屋は、一泊二食付きでも、米持参がルールだったような気がする。

 燕山荘についたら、燕岳が一幅の芸術作品のように手招きしている(写真02)。荷を置いて早速燕岳を往復する。花崗岩が風化したザラザラな砂の上を歩いてゆく。燕岳についたら、モニュメントのような岩がいっぱい突き出している。登れそうな岩、数カ所に登ってみたが、表面がやすりのようにザラザラで擦り傷を作ってしまった。

            写真02 燕岳山頂

         写真03 同期と2人で登山(53年前)

第2日目(晴れ)
 今日は大天井を越えて槍ヶ岳山荘までの表銀座コースである。快晴で眺めは素晴らしい。大天井のあたりから穂高山群が丸見えである。涸沢カールを取り囲む、前穂・奥穂・北穂が模型地図のように見える(写真04)。昨日の登りで靴擦れを作ったらしく親指の外側が痛い。

            写真04 穂高山群

 赤岩岳あたりから北鎌尾根が良く見える(写真06)。あそこはザイルテクニックがあるベテランしかアタックできないらしく、北鎌尾根のピークはどれも岩峰で尖っている。西岳を越え、槍沢の上部に来たら、U字谷の槍沢が紅葉に染まっていた(写真08)。ここから槍への登りがつらかった。一歩ごとに登山靴が親指に食い込むようだ。新しい登山靴に変えたせいかもしれない。

           写真06 北鎌尾根

         写真08 紅葉に染まる槍沢

 やっと槍の肩の小屋に転げ込んだ。ここで相棒に事情を話し、当方は明日、槍沢経由で上高地に下ることにした。小屋に荷をおいて、槍の穂先まで登る(写真10)。槍の頂上は30人位しか立てないので、最後の鉄梯子の所で順番に交通整理を担当して、降りた人数分しか登らせないようにしていた。

   写真10 槍の穂先まで登る

 槍の頂上はさすがに素晴らしかった。足元が削げ落ちているので、山の頂上というより鉄塔の頂上に立っているようだ。先日初雪が降ったらしく、東鎌尾根の北側斜面には雪が残っていた。尾根の上にヒュッテ大槍の赤い屋根が見える。一幅の絵になっている(写真12)。

写真12 東鎌尾根を見下ろす(日陰側には新雪も見える)

第3日目(晴れのち曇り)
 朝飯を相棒と一緒に食べてから分かれた。彼は裏銀座へ、当方は上高地へ。槍沢も上部は急だ。右足に力がかけられないので転ばないよう注意しながら下る。坊主岩小屋の脇を通ったので中を覗いてみた。嘉門次がウエストンを案内してここに泊まったそうだが、結構いい岩小屋だった。

 槍沢はいくら下っても下りが続く。横尾はまだかと何度思ったことか。ようやく横尾に達し、登山靴を脱いでサンダルに履き替え、やっと痛みから解放された。上高地までは嘘のように散歩気分で歩けた。

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