冬富士に登る

 冬富士には高校生の頃から4回挑戦しているが、写真が残っているのは3回分だけだ。第1回目は計画がずさんすぎて登頂に失敗した。このHPを作るに当たって古い写真を調べたら、デジタル化しておいた富士山の写真が数枚見つかった。これを基に当時を思い出しながら、2017年に書いた記録である。

第一回目(1958年4月)
 高校2年の4月に夜行日帰りで一人で出かけた。富士山麓電鉄の富士吉田駅から、吉田口浅間神社に通ずるメインの広い通りを歩き出したころにはもう暗くなっていた。メイン道路の食堂で夕食をとっていたら、近くのテーブルにいたおじさんが「今からどこにいくの」と聞いてきた。「夜行で富士山に登る」と答えたら、「一人で夜道は危険だから今晩はうちに泊まって、明日登ったら」と言ってきた。

 親切なおじさんだなと思ったが、朝出発したのでは時間的に頂上まで行けないので、「このまま登ります」と断った。初めて出会った他人の子供でも家に泊めて面倒見ようとは、今にして思うと、当時の人は人情に篤かった。

 浅間神社を拝んでから、いよいよ真っ暗な杉林か松林の道に入る。浅間神社境内の街灯でできた自分の影が目の前の大木に写り、一瞬、誰かに尾行されているような気分になる。境内を抜けると富士山のすそ野を真っすぐ登る自動車道路に出た。あとはどこまでもこの道を歩いてゆくだけ。

 1時間ぐらいで中の茶屋についた。まだ灯がともっていたので休ませてもらうことにした。こんな時間に高校生が一人で登ってきたのにあきれていたが、気持ちの良い小屋番だった。どんな登山形態を考えても、この時間に中の茶屋を通過する登山形態はありえないようだった。

 小屋番が囲炉裏で「蛙」の足を焼いていた。どうやら食べごろになったらしく、一本出して、「食べるか」と薦めてくれた。20cmぐらいある結構大きな足だった。もも肉を歯で食いちぎって食べるらしい。旨いとも不味いとも言えない味だった。1時間ほど休んで出発。

 馬返しに着いた。いよいよ林の中の登山道の登りになる。星明かりが届かないので暗い。30分ぐらいごとに、1合目・2合目と通過してゆく。2合目の少し手前に神社があったので、ここで仮眠していこうかと思ったが、そのまま登ることにした。

 室内にランプがついている小屋の前を通ったので、もう5合目に達したらしい。通年、小屋番がいるのは5合目の佐藤小屋と井上小屋だけだからだ。その前を通過し、すぐ上の森林限界まで登ったら、もう廃棄されたような石室があった。羽目板が壊れた窓から中に入り仮眠した。しかし寒くて仮眠できるような情況ではなかった。雪を溶かしてお湯を沸かし、体を温めたが、用心のため正露丸も飲んだ。

 外がかなり明るくなったので、アイゼンをつけ、ピッケルをもって登りだした。ここは6合目ぐらいらしい。左手のところどころ岩が出た斜面より、吉田大沢の方が一面雪がついて登りやすそうだったので、吉田大沢に入った。上からカーン・カーンと音を立てながら氷のかけらが落ちてくる。一度は足を直撃されそうだったので、ピッケルの柄で受けたら、氷が当たったところがかなりへこんだ。斜面は一面、クラスト化しているので、ここで滑ったらどこまで滑り落ちるか分からない。慎重に登る。

 そのうち吉田大沢を囲む尾根が岩壁状になってきた。最上部に行ってもこの状態では出られなくなる。登れそうなところを探して岩壁の上に出ることにした。岩壁を登るときはピッケルが邪魔だったが、これからも使うので捨てるわけにはいかない。

 岩壁の上に出たら石室の屋根らしきものが雪に埋まって見えた。7合目の石室群の屋根なのだろう。昨日の寝不足のせいか、ここで体力も限界になったので下ることにした。やはり積雪期の富士山は夜行日帰りでは無理だった。

 六合目の観音様(?)のあたりでアイゼンを外し、あとはせっせと下った。5合目の井上小屋の前では飼い犬が正座していた(写真02)。下る登山者はお客にならないので、吠えて主に伝えない。

  写真02 犬が楕円の中に正座しているのに注意

 馬返まで下ったら地元の高校の山岳部3年だという人と一緒になった。この季節の富士に夜行日帰り登山は無理だ、お話にならないと言われてしまった。馬返しから吉田大沢を見上げるところで写真を撮ってもらった(写真04)。

     写真04 吉田口馬返しから富士山を望む


第二回目(1960年3月)
 高校3年の3月の春休みに5合目佐藤小屋に2泊して富士山にリベンジ登山した。朝、家を発って、長い裾野を歩いて5合目まで登るのは時間的に無理だろうと考え、今回も富士吉田に夜ついて、夜道を歩いて5合目を目指した。1合目と2合目の間にある神社で仮眠したが、寒くて寝付かれなかった。

 外が薄明るくなったので、待ってましたとばかりに出発した。5合目の佐藤小屋に着いて2泊を申し込む。到着時間がずいぶん早いので、「馬返しを何時に出たのか」と聞かれてしまった。「夜行で登ってきて、2合目の神社で仮眠してきた」と話したら、「神社に入るのは禁止されている」と言われてしまった。荷を置いて、7合目までアイゼン・ピッケルを使う練習登山をした。今回は吉田大沢に入らず、夏道を登る。

 夏道と言っても今は雪に覆われている。雪の斜面はクラストしており、氷が落ちてくる。7合目の最初の石室まで登って5合目に引き返した。佐藤小屋は素泊まりだけなので、食事は自分で作った。今は正月ほど混んでいないので、飯作りも苦労しなかった。しかしストーブの周りは常に人が集まっているので、一人では座席の確保が難しい。

 翌日、日の出とともに出発。下を向いて黙々と登るだけ。やはり一晩寝ただけあって前回とは疲れ方が違う。風もそんなに強くはない。一人で登っているのは当方だけで、他のパーティーはほとんど複数人だ。登るにしたがって足をあげるのが苦痛になる。

 なんとか頂上について、鳥居の写真を撮る(写真06)。鳥居には樹氷が派手についていた。樹氷は上方に向かって伸びていたので、頂上から吹き下ろす風が強いのだろう、。吉田口頂上の石室の陰で食事をしたが、みかんがコチコチに凍り付いていた。カメラ(リコーフレックス)のレンズも凍り付いて、距離合わせのため回転することができなかった。風もさほどではないのでお鉢回りも可能だったが、それだけの体力が残っていなかった。吉田口頂上で記念撮影(写真08)して下ってきた。

 写真06 富士山吉田口頂上の鳥居(樹氷がすごい)

      写真08 吉田口頂上

 翌日は佐藤小屋から富士吉田に下るだけなので時間が余ってしまった。中の茶屋あたりから左(北西方向)に入り、吉田胎内樹型を探してみた。胎内樹型手前の涸れ川には木馬道(伐採した丸太を引きずって運び出す木道)も残っていたが、もう長いこと使われたことがない様子だった。裾野の木を伐採しつくしてしまったのだろう。
 吉田胎内樹型を薮漕ぎしてしつこく探したのだが、とうとう発見できなかった。また吉田口に戻って、富士吉田まで歩いた。


第三回目(1964年1月)
 大学4年の正月にまた単独行で富士山に登った。今回も裾野を歩くので富士吉田に22時ごろ着いて歩き出した。正月は混んでいるので事前に佐藤小屋に宿泊予約をした。今回は裾野の中の茶屋はやっていなかったように思う。

 佐藤小屋について荷を置いてから7合目まで訓練登山。夕方小屋に帰ってきたら、座る所がないほどの混み方だった。なんとか飯を作り食べてから、寝るスペースが確保できているうちに寝袋に入って寝た。

 翌朝は日の出とともに出発。とは言っても正月なので7時ごろだ。快晴だが風が強い。登るにしたがって、風が強くなり、時にはピッケルに顔をつけて伏せていないと後ろに飛ばされそうになる。周囲は猛烈な地吹雪だ。

 8合目付近で人の足跡が雪面に残っているのに気が付いた(写真10)。しかし足跡は凹むのではなく出っ張っていた。カラクリはこうだろう。無風状態で新雪が積もり、その状態で人が歩いたので、雪が踏み固められた。その後強風で周囲の雪が飛ばされ、踏み固められたところだけ貝柱のように出っ張って残った。

      写真10 富士山の足跡は出っ張る

 なんとか吉田口頂上についた(写真12)。弁当を食べようとしたが強風で食べられなかった。強風なのでお鉢回りをどうするか迷っていたら、これからお鉢回りをするというグループがいたのでそれについて行った。剣ヶ峰の最後の登りから測候所を見上げる(写真14)。

    写真12 吉田口頂上から見た火口と測候所

 写真14 剣ヶ峰の登り(測候所のレーダードームが見える)

 風が強いので測候所に入れてもらって弁当を食べることにした。その前に測候所の前で記念撮影(写真16)。測候所のドアをしばらくたたき続けたら中から扉が開いて、測候所の人が顔を出した。これこれなので中で弁当を使わせてくれとグループのリーダーが頼んでいた。すぐOKになり中に入った。

 写真16 測候所の前で記念撮影

 中に入ったらグループのリーダーが、お礼に週刊誌や新聞を渡していた。これが礼儀と初めて気が付いた。当方は何も持ってきていない。お茶をご馳走になって弁当を使っただけで出てきてしまった。お恥ずかしい。

 帰りはお鉢の北半分をまわった。北半分はかなり広い平地もあり、南半分と様相が違っていた。金明水やなんだかわからない建物もあった。これが大昔の測候所の跡か。吉田口の頂上に戻り、風に吹き倒されないよう注意して下った。

 6合目のなんとか観音近くになったのはもう夕方だった。山中湖の方に伸びた影富士がきれいだった(写真18)。今晩も佐藤小屋泊りなので気分は楽だ。ゆっくり夕食の支度をした。

     写真18 山中湖方面に伸びる影富士

 その翌日は朝日が昇る前に小屋を出発。ガンガン飛ばして、富士吉田には10時ごろに着いた。裾野を歩いて下っている途中、地元の人に会った。話の流れで「昨日、頂上まで登った」と話したら、「あの地吹雪の中、頂上まで登るのは無理だ」と言われてしまった。本当に登ったのかと疑っているようだったので、測候所の人に聞いてくれと言っておいた。

 この時間なら三つ峠もやっつけられると、電車・バスで御坂トンネルの入口(注:このトンネルは旧御坂トンネル)まで行き、そこから三つ峠にしゃにむに登った。若いころは体力があったらしく、標高差600mを1時間15分ぐらいで登った。それも富士登山のザックを背負ったままで。

 三つ峠頂上から見た富士山は素晴らしかった。今日も地吹雪がたっていた。下りは富士山麓電鉄の三つ峠駅に下り、そこから電車で帰ってきた。今回は充実した山行だった。

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