雲竜峡

 雲竜峡とは、日光東照宮の裏の方にあるゴージャスな氷結で有名な峡谷である。この峡谷は2月に訪れる人が一番多い。どういう経緯か、当方は、高3(1960)・大4(1965)・64歳(2006)のときの3回訪れた。本文は、この3回分の写真を合わせて2017年に作成したものである。これだけインターバルがあると雲竜峡の侵食の速さが分かって面白い。

 高3と大4の時は最終の日光着電車で行って、夜中歩いて、明け方に雲竜峡入口の飯場跡に着いて装備を整え、峡谷の奥目指して歩き出すというパターンだった。今では胎内岩の少し手前までマイカーで行けるので、かなりアプローチしやすくなった。友知らずや水晶宮までアイゼンをつけない人が入っていたのにはびっくりした。

 写真02は1960年のときの写真である。現地で知り合った2人とパーティーを組んで奥へ。われわれの年齢を見て「こいつらじゃ無理だろう、事故を起こさないようガードしてやろう」と、声をかけてくれたのかも知れない。

写真02 現地で声をかけてくれた人とパーティーを組む :1960年

 写真04は2006年に行ったときの胎内岩手前の氷瀑である。氷瀑と言ってもここに滝が落ちているわけではなく、岩からしたたり落ちる水滴が凍り付いたものだろう。胎内岩には沢沿いの岩壁をヘツッていく必要があるが、この年は氷不足で水に落ちそうだったので引き返した。岩の下まで行ければ、写真06(1965年)のような光景が見られる。

 写真04 胎内岩手前の氷瀑:2006年(岩からしたたり落ちる水が凍ったもの)

写真06 胎内岩からさがるつらら(1965年)

 現在のルートは、胎内岩を眺めたら一旦自動車道路に引き返し、友知らずの手前まで自動車道路を行くようなっている。昔は沢通し歩いたのだが。

 写真08(2006年)は友知らずのゴルジュである。人が歩いている下は沢になっている。今では幅が6~7mあるが、昔は幅3m程度で、両岸の氷壁も写真10(1965年)のように狭まっていた。上を見上げると写真12(1961年)のように狭いゴルジュだった。火山地形なので侵食スピードは信じられないほど速いらしい。1961年に行ったときは写真14のように友知らずの左岸氷壁を登っている人もいた。

   写真08 現在の友知らず(2006年)

   写真10 1965年の友知らず

    写真12 1960年の友知らず

写真14 友知らずの左岸氷壁を登る(1960年) 

 友知らずを抜けるといよいよ、巨大なつららの聳える水晶宮である(写真16:2006年)。ここのつららは高さ30mぐらいある。時にはこのつららをアイスハーケンとアイゼンだけで登っているパーティーもある。もちろん仲間がザイルで確保しているが。でも最初の人は確保なしで登ったのであろう。

   写真16 水晶宮の巨大なつらら(2006年):高さ30m

 水晶宮の対岸に雲竜の滝に行くルートがある。狭い急なルートを登ってゆくと水晶宮が見下ろせるようになる(写真18:1965年)。水晶宮に対して右手前方を見ると、雲竜の滝が完全に凍り付いて聳えている(写真20:2006年)。高さ200mあるだけあって氷の柱がはるか上方まで続いている。ここは是非見て頂きたい。大ベテランは雲竜の滝も登るそうである。

写真18 雲竜の滝への途中から水晶宮を見下ろす(1965年)

   写真20 完全に氷結した雲竜の滝(2006年)

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